勝敗グラフ中日ドラゴンズ選手名簿(おたんじょうび帖)中日ドラゴンズ年俸ランキング全日本年俸ランキング・全国版高額年俸ランキング・球団別表彰選手セ・リーグ個人成績パ・リーグ個人成績
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2005/10/08play back 2005

戦いはもう始まっています。

▼2005年10月8日、ナゴヤドームで146試合目の今季最終戦、対横浜。中里篤史先発して3イニング59球、多村に31号2ランを食らう。1-6で敗戦。観客29200人。試合後のグラウンドで、シーズン終了あいさつ。

▼マイクの前の落合監督は、少しうつむき、とつとつと話し始めた。 「応援ありがとうございました。残念ながらリーグ連覇、51年ぶりの日本一という掲げた目標は達成できませんでした。申し訳ありませんでした」。そう言うと、深々とファンに頭を下げた。「2006シーズンに向けた戦いはもう始まっています。来季は精神的にも肉体的にも1ランク、2ランク上げた選手をお見せできると思います」。すでにレギュラーと一部のベテランを除く、1軍野手全員に8日からの九州入りを命じている。森野、英智、高橋光らが、休みなしで8日のソフトバンクとの練習試合に備えて福岡に入る。秋季教育リーグ(フェニックスリーグ)終了後、そのまま沖縄に入って6勤1休の“地獄のキャンプ”が始まる。11月末まで、選手はほとんど休みを取らず、練習で体をいじめ抜く。

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蛍の光窓の雪

中日ドラゴンズの、ドラフト以外の主な人事異動
来 た 人
去 っ た 人
小田幸平捕手(28/野口FAの人的補償)/デニー友利投手(38歳)/上田佳範外野手(31歳/日ハム戦力外→テスト生を経て契約)/鳥谷部健一投手(26/西武戦力外→テスト生を経て契約)
野口茂樹(32/FAで巨人へ)/大西崇之外野手(34)/土谷鉄平外野手(22)/仲澤忠厚内野手(23)/森章剛外野手(26)/田上秀則捕手(25)/幕田賢治外野手(27)/大友進外野手(31)/玉野宏昌内野手(27)/矢口哲朗投手(24)/清水清人捕手(26)/瀬間仲ノルベルト・ホッシャ内野手(21)/平松一宏投手(31)/都築克幸内野手(22)
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綱紀粛正七箇条アイスクリン、炭酸飲料、オヨビ二日酔ヒヲ禁ズ

綱紀粛正七箇条、通称アイスクリーム禁止令

「綱紀粛正七箇条」。宮崎入りした10/09夜のミーティングで「中日ドラゴンズ(二軍)行動基準」というものが配布された。内容は、時間厳守、茶髪ヒゲ厳禁、ユニホームを着用中のアイスクリーム炭酸飲料ケータイ電話禁止、二日酔い禁止など、だそうです。とほほ。鎌田もヒゲを剃った。「せっかく生えていたんですけど…。仕方ないです」。ああ、余裕綽々で「普通にやれば日本一になれる、右の四番候補は想像以上にたくさんいる、キャンプに家族、彼女同伴OK」とか言ってた就任直後が夢のようだ。

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2005/10/19秋季練習@ナゴヤ球場

▼10/19:井端「首位打者を狙います。もう、言っても誰も何も言わないと思うんですよ。タイトルを狙いにいくつもりです」「これ以上打つために、どうしたらいいのか。キャンプで監督に聞いてみようと思ってます。これまで? 直接アドバイスを聞きに行ったことはないんですよ」「3割5分? 届きそうな手応えはあります」

▼10/23:秋季練習最終日。打撃フォーム改造に取り組む福留が場外弾2本を放った。福留:「まだまだフォームは固まっていない」オレ:「ゆとりが出てきたんじゃないか」

▼日本シリーズは22日に千葉で始まり、ロッテマリナーズが10-1、10-0と圧倒的二連勝、さらに25日甲子園、下柳-藤川相手にまたしても10-1。翌26日甲子園、4戦目にしてようやく接戦になったが、3-2でロッテ。4戦全勝で圧倒的日本一に。

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2005/10/24秋季沖縄キャンプ

▼24日、監督、選手、コーチ51名が沖縄入り。25日にキャンプイン、11/23まで北谷町でキャンプを行う。選手、スタッフ全員が会議室に集合し約30分間のミーティングで口を開いたのは落合監督だけ。「1人ひとりがレギュラーを取るつもりで練習をしないと生き残れない。このキャンプを疲れた、疲れたで終わってしまう選手は要らない」。落合体制3回目となる秋季キャンプ、これまでとの大きな違いは、実戦を通して若手選手のレベルアップを図ることにある。中堅以下の選手を中心としたメンバーで、2日に1回の割合で紅白戦を組む。実績のある選手は実戦練習免除で、基礎トレーニングで体をいじめる。練習漬けの1カ月が、沖縄で始まる。

▼25日キャンプ初日、ウオーミングアップが終了し、野手組が1対1でペッパー打撃を始めた直後、ボスが練習を止めて若手を呼び寄せ、七分間の説教。「なぜ、この練習をするのか、その目的と意味を考えろ。主力選手の動きを見てみろ。おまえたちがしなければならない基本がちゃんとできてる。それをちゃんと見るんだ」。基本練習で漫然と動く若手選手たちに我慢がならなかったようだ。厳しい言葉を次々と浴びせかけた。井端:「この2年間で、こんなことはなかった。監督は相当に気合が入っている。ぼくたちももう一度、気を引き締めないと」。

▼やらされる練習はダメだと言い、全体練習は意味がないと言い、コーチは教えるの禁止な、と言った一年目のキャンプ。しかし二年目の沖縄キャンプ、去年の秋だか今年の春だか忘れたけど、キャンプ便りの記事にこういうふうな一節を見つけた時はちょっと愕然とした。「監督が姿を現すと、なごやかだったブルペンの空気が一変した」。なんですかそれ。まさに「やらされる練習」そのものじゃないか。落合ドラゴンズのピークは一年目だったねえ、なんてことにはならないと、信じたい。

▼「このキャンプと春のキャンプを通してケースに応じた考え方を教える。来年は頭を使った野球をやる」「ここは練習の場。リハビリや疲れを取るところじゃない。練習ができない選手は帰すだけ」。オレ竜は午後5時50分に球場を後にしたが、その後も練習は延々と続き、最後まで残った堂上が球場を出たのは午後7時40分。練習が始まってから9時間40分がたっていた。うーむ。いいニュースなのか、イヤなニュースなのか。練習し過ぎなんじゃないの。1年前にはこういう話があった。

ロッテからトレードの清水将が秋季キャンプに合流、7時間を超えるオレ流キャンプに悲鳴。「ロッテと全然違う。とにかく練習量が多い。予想していた以上」「こんなに1つのことを繰り返してやることは、そうはない。やっぱり強いチームは違いますね。早くこの流れに慣れていかないと」

「やっぱり強いチームは違いますね」だってさ。この時点では誰もこの発言に違和感を持たなかった。清水将について「弱いチームから来た人」というコンセンサスがあったんだねえ。あれからわずか1年。ロッテより中日が強いと思ってるプロ野球ファンはほとんどいない。

▼川相昌弘(41)は秋季キャンプからコーチ兼任に。オレ:「当然、選手としてやってもらうし期待してる。でも、アイツが今までに培ってきたものを、今の選手にも教えてやってほしいんだ。この2年間もそうしてもらってきたけど、肩書を付けてやった方がやりやすいんじゃないかと思ってね」川相:「アドバイスするにも去年も今年も遠慮してた部分があった。監督もそういう自分の姿を見て決めてくれたんだろうし、できる限りのことをしたい」

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井端蕁麻疹urticaria

▼井端弘和は今度の5月で31歳になる。25日には「ぼくたちももう一度気を引き締めないと」と語ったが、30日には「このキャンプは休養に当てる」と宣言。「体を鍛える時期は30歳を迎えるまで」「とにかく疲れを取らないと。オフだけでは足らないから。振り込み? やりません。守備? やりません」「また鍛える時期は来るかもしれないけど、今はシーズンを乗り切るだけの体力維持を図りたい。とにかく開幕に合わせて調整していく」

ところがその後すぐ蕁麻疹を発症。手足から全身に広がり、11/04に札幌でプロ野球コンベンションに出席して沖縄に戻ってくると翌日には発熱、呼吸困難に。ついに7日、入院した。翌日には退院するも1日で再発、結局15日まで入院生活。血液検査で、原因が食物ではないことまでは分かった。病院側は疲労、ストレスによるものと推察。井端の蕁麻疹体験は人生初。いつ再発するかしないか全く不明。「点滴を打てば治るんです。だからじんましんごときではポジションは渡しませんよ」とご本人は気丈に語る。

入院中は洋画邦画ヤクザ映画サスペンスとひたすらDVDを見続け、最終的に「名探偵コナン」にたどり着いた。劇場版だけでなく、シリーズ(ってナニ? テレビシリーズってことか)も完全制覇。「小学生ばりに語れますよ、コナンを。最後はトリックを途中で見抜けるようになりました」(中スポ『ドラ番記者』情報)。

井端は10/04のヤクルト戦で目の不調からフルイニング出場をあきらめ、10/14に横浜で視力矯正手術(レーシック)を受け、WBC出場辞退の理由にも目の不安を挙げてるわけだが、こんなアホなことで目を酷使してて大丈夫なんだろうか。かつて中利夫は「目に悪いから」と言って映画はいっさい観なかった、とか何かで読んだけど、記憶違いだったらすいません。

▼続く。その他の主な話題は、「秋季キャンプ最終日、宿舎まで¥500で帰って来い!」とか「11/25納会、来季はぶっちぎり1位で」とか、「野口はFAで巨人か阪神か」「その場合の人的補償は誰か」とか「11/27 OB会、空いてるポジションは3つ」とか、そんな感じ。

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2005/11/17Noguchi

さらば野口茂樹

▼中日の伊藤一正球団代表は31日、野口茂樹投手がフリーエージェント(FA)権を行使したことに対し、「あくまで基本は実績。FA宣言したから手厚くするわけにはいかないと思う」と語り、交渉次第では他球団への移籍も覚悟する姿勢を示した。伊藤代表は同投手を来季も戦力とし、「長い間ドラゴンズのためにやってくれた選手だから、誠意を持って話し合います」と残留を前提に交渉することを強調。しかし、昨季4勝で今季も3勝ながら年俸は1億80万円と高額。中日は条件面で大幅なダウン提示をすることが確実だ。

▼10/31:巨人が中日からFA宣言した野口茂樹投手(31)の獲得に乗り出すことが31日、分かった。複数の球団関係者が明らかにした。野口はこの日、ナゴヤ球場で中日関係者に、FA権行使に必要な書類を提出した。野口獲得には阪神も前向きな姿勢を見せている。交渉解禁日は11月9日。チーム防御率が4・80と低迷した巨人は重点的に投手を補強する方針を立てており、実績のある野口の獲得を検討していた。清武英利球団代表が「手続き的にいうとこれからだけど、興味のある選手。まだ十分、歴史を作れる投手だと思う」と語った。

▼11/16:中日からFA宣言した野口茂樹投手(31)が17日に東京都内で 巨人と2度目の入団交渉を行うことが分かった。 巨人入りが確実となっており、移籍を正式表明するとみられる。 巨人の桃井恒和球団社長はこの日、「たぶんいい答えがもらえると思う」と好感触を口にし、 交渉には宮崎市で秋季キャンプ中の原辰徳監督も同席する。 野口は9日に名古屋市内で中日、巨人と相次いで交渉し、 「巨人から必要な戦力と言われてうれしい」と語るなど移籍に前向きな姿勢を見せている。

▼11/17:中日からFA宣言した野口茂樹投手(31)の巨人入りが17日、決まった。東京都内のホテルで巨人と2度目の入団交渉に臨み、2年契約、年俸1億円でサインした(金額は推定)。背番号は31。交渉に同席した原辰徳監督から先発として期待を寄せられた野口は「選手として活躍する場を求めたが、巨人が一番だと思った。先発のライバルは多いと思うが、1軍で投げられる機会を得られるように精いっぱい努力したい」と緊張した面持ちで抱負を話した。原監督は「巨人にとって明るい、心強いニュース。優勝という目標のために重要な投手陣の中心になって戦ってもらいたい」と喜んだ。野口は1993年にドラフト3位で中日入りし、99年には19勝でリーグ最優秀選手に輝いた。しかし、左ひじの故障などもあり、今季は3勝(6敗)に終わった。通算成績は80勝78敗2セーブ。

野口茂樹投手:「活躍する場を求めていたが、巨人が一番だと思った。この日が待ち遠しかった。環境が変わることで今まで悪かったことをすべて変えたい。先発のライバルが多いので、1軍で投げられるように努力したい」

巨人・原辰徳監督:「優勝するためには投手力が最重要課題。本人がしっかりと自分の投球ができる状態ならば、先発の一角を任せたいと思う」

巨人・清武球団代表:「来季、原巨人を支える素晴らしい人材を勝ち得た。お金ではなく、活躍の舞台を求めて巨人に来ていただいたと思っている」

中日・伊藤一正代表:「FAは野口君が獲得した権利。前回の交渉でも新たな環境でやり直したいという強い気持ちを感じた。新天地でも頑張ってほしい。(巨人に)人的補償を求めるかは落合監督と話し合う」

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2005/12/13小田幸平

FA野口の人的補償、中日が小田獲得

中日は13日、FAで巨人に移籍した野口茂樹投手(31)の人的補償として小田幸平捕手(28)を獲得したと発表した。井手編成担当は「捕手が足りないと思っていた。谷繁が万全ならいいが、ケガした時にだれが出るか考えておかないと」と説明した。今オフに田上と清水清の2捕手を解雇。ドラフトでも捕手の獲得を見送ったことで、捕手の層が薄くなったため、強化を目指していた。

小田は強肩と体格を生かした強固なブロック、勝負強い打撃が売り。今季は31試合に出場、打率2割1分、5打点マークした。今季は阿部、村田に次ぐ3番手だったが、井手編成担当は「阿部が出られない時期をよくカバーしていた」と評価。落合監督も10日に報道陣から巨人側が提出したプロテクト選手について問われると「大満足。ほしい選手がプロテクトから外れていた」と話していた。14日には名古屋市内の球団事務所で入団発表が行われる。[2005/12/14/09:46 大阪日刊スポーツなにわWEB]

中日落合監督、小田獲得「大もうけ」

中日落合博満監督(52)が14日、原巨人の編成を“口撃”した。三重県内でのテレビ番組の収録に参加。巨人にFA移籍した野口茂樹投手(31)の人的補償として小田幸平捕手(28)を獲得したことについて「大もうけと言っていいんじゃないのかな」と話した。

「正直言って小田が(プロテクトから)外れていると思わなかったよ。よく外したなっていう感じだよ。ジャイアンツの中でウチの走り屋を刺せるのは小田だけでしょ。小田以外に欲しい選手はいなかったよ。もし小田が外れていなかったら? 人的補償は要求しなかったかもしれないな」。巨人を皮肉るようにどこまでも喜び続けた。[2005/12/15/09:13 大阪日刊スポーツなにわWEB]

この件からちょうど2年後、中日ドラゴンズは西武からFA宣言した和田一浩を獲得する。人的補償からのプロテクト選考は難航を究め、名簿の提出が年明けまでにずれ込んだ挙句、岡本真也を失うことになるのだが、もちろん落合博満も、他の誰も、このときはそんなことは知らなかった。

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2006/03/30過去二年間とは較べものにならない。

開幕前日、オレ語る。「開幕一軍の27人だけでシーズンを戦い抜くのは不可能。どれだけ二軍で準備させるかが重要」「どれだけのアクシデントがあるかわからないけれども、そこできちっと準備さしておいたら、負けるチームではないでしょうね。そりゃあ過去二年間とは今年は、較べものにならないだけのチーム力はついていると思います」

開幕当日(31日)は自宅でメシを食いながら取材に応じ、テレビカメラの前で語った。「148勝ゼロ敗でなきゃあ。さいしょはそこを目指していくんだから」。そして2006年も開幕したのである。