チカラ説を疑う(ジャストミートしても重い球-2)

it has been called the force

重い球、概説
前章のあらすじ:回転の少ない球は重い、というのは、あらためて検証するとひじょーにあやしい、バカみたいな説ばかりじゃないか。みんなどうかしてるぜ。おかしいよ。しっかりしようよ。
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体重説と腕力説

「ジャストミートしても重い球」をめぐり、回転説と並んで広汎な支持層を(日本で)持つのは、体重説だ。「今日の藤川、本来の球のキレではないように見えるんですがいかがでしょうか西本さん」みたいな実況はしょっちゅう聞くが、「今日は重さがいまいち」とか「今日はいつにも増して重そうな球を」なんて台詞は聞いたことがない。「球の重さ」は投手の身体的特徴と直接結び付いており、その日の調子で変動したりなんかしない、とされている気配がある。身体的特徴といえば身長とか指の長さとか指の強さとかいろいろあるだろうが、「重い球」と絡めて主に言及されるのが「重い体重」なのは、当然といえば当然か。例えば日本プロ野球名球会の Q & A「投手編」にはこう書いてある。

▼重いボールを投げるにはある程度体重が必要。

Q2 日米野球のたび話題になることですが、どうしてメジャーリーグの投手の球は「重い」のですか。

A2 (回答者金田正一さん)重いボールを投げるにはある程度体重が必要。メジャーのピッチャーたちは強靱な体をしているし腕力もあり、投げられる条件を備えているから。

指の長さや握り方が回転数に関係あるという話ならわかる。しかし体重が球に乗り移るなんてことが、あるわけないでしょう。体がデカく太めのピッチャーの投球を評して「いかにも重そうな球」なんて言説が、新聞なんかにも平然と載っている(少なくとも2005年、中日ドラゴンズの石川という投手について、東京中日スポーツはそう書いたことがある)が、バカ丸出しである。また、日頃そういう記事を目にしている人々がWEB掲示板において「球が重いと言われるピッチャーはみな体が大きい。球の重さが体重と関係してる証拠である」などと発言する。デフレがデフレを生む状況を「デフレ・スパイラル」と呼ぶが、この場合はバカのスパイラルとしか言いようがない。さらに「パワプロ」とか「プロスピ」とかの電脳野球ゲームがフィクションとノンフィクションを愉快に混合して、このスパイラルを拡大する。

図AとBは、いずれも硬球を時速30kmで発射する装置だ。時速30kmで走行し、壁に衝突して急激に停まる。すると球は慣性により、時速30kmで飛び出す。違いは台車の重さのみ。Bの方が100倍重い。体重論者は何故か、同じ30km/hでもBの方が100倍強いパワーを使ってるのでそのパワーが球に伝わり、100倍ズシリと重いと主張する。そんなことは有り得ないよ。壁(と台車)の受ける衝撃力は確かに100倍違うが、球自体はどっちで投げても時速30km/h、なんら違いはない。もちろん、30km/hじゃなくて150km/hでも同じことだ。

catapult1

catapult2

あるいは、Aを「一両の電車」、Bを「十両編成の電車」に置き換えて想像して下さい。「150km/hで疾走する十両編成の電車」から飛び下りるのは、「150km/hで疾走する一両の電車」から飛び下りるのに比べて、十倍強烈な衝撃があるだろうか。

あるいは、Aを「ふつうのブランコ」、Bを「鎖の長さは同じだがむちゃくちゃ重いブランコ」に置き換えて想像して下さい。むちゃくちゃ重いブランコから飛び下りる少女は、普通のブランコから飛び下りる少女に比べて、同じ体重/同じ速度でもずしりと重いだろうか。バカバカしいでしょう。

ただ当観測所としては、高校球児が監督から「お前は球が軽いからもっと食って体重を増やせ」とか言われた場合に、バカバカしいですよ監督、体重が球に乗り移るなんてこと、あるわけないでしょう、などと言い返すのはお勧めしない。黙って「もっと食って体力つけろ」って意味だな、と好意的に解釈すればいいと思う。実際にそういう意味だし。

「高校生がたくさん食うと体が大きくなって体力が増すというのは本当か」という問題が残るが、私にはわからない。昔、小林まことの『一、二の三四郎』というマンガ(柔道漫画だが後半はプロレス漫画)を読んだ時には、んぐんぐプロテイン飲んでたくさん食ってハードトレーニングすると体がデカくなるんだな、と素直に思ったものだが、いまホセ・カンセコの『禁断の肉体改造』を読むと、大食くらいで体力不足の悩みが解消するんならカンセコはステロイドに手を出さなかったんじゃないの、とも思う。私にはわからない。

◆ ◆

腕力が強いピッチャーの投げる球はスピードがなくても岩のように重い、カギは体重というよりも腕力(および握力)だ、という説もけっこう見かける。「深く握ると重くなる」という話も、この辺りと曖昧に重なっているのだろう。どこから来た説なのかは知らないが、普及に大きく貢献したのはたぶん『ドカベン』だ。

●「背負投げ投法」から繰り出される重い球

【影丸隼人】[かげまるはやと]花園学院→クリーンハイスクール→中日ドラゴンズ→四国アイアンドッグズ/右投右打
「元祖トルネード」
柔道の技を活かした「背負投げ投法」から繰り出される重い球で相手打者を苦しめる。岩鬼とは親戚だが、柔道時代からの因縁があり、犬猿の仲。初登場では、山田の妹サチ子を暴走車から助けた。得意技は荒技・バックドロップ。(「ドカベンデータベース」より)
●ボールをわしづかみで握り、砲丸投げのように投げる

【賀間剛介】[がまごうすけ]武蔵中定時制→甲府学院→?→東京スーパースターズ/右投右打
「剛腕無双」
妹は幸子。普段から合計100?のダンベルを持ち歩いて鍛えた腕力は、バントの構えで打ったボールをスタンドまで運ぶほどの力を持っており、その腕から放たれるボールは、山田でも外野まで飛ばせないほど重く、力で相手をねじ伏せた。ボールをわしづかみで握り、砲丸投げのように投げるので、砲丸投法。ただ、スローボールなのに腕力が強いだけで重いボールになるなんて、物理的にあり得ない。(「ドカベンデータベース」より)
●鍛えた腕力で繰り出す砲丸投法からの剛球がバットを砕く

賀間 剛介(がま ごうすけ)は、水島新司の漫画「ドカベン」に登場する架空の人物。マントの下で常に両手にダンベルを持ち歩くというトレーニングで鍛えた腕力で繰り出される砲丸投法からの剛球と強打を武器に、弱小校を一人で引っ張る。その重い球は山田でさえ苦戦し、球をジャストミートしたのにもかかわらずバットを折られてしまうほどであった。(Wikipediaより)

水島新司は何年にもわたって「巨人の星」のデタラメぶりを批判し続けているらしい(Wikipediaにそう書いてある)が、ご自身の振り撒くファンタジーもなかなか侮れない。マンガがファンタジーであっても全然かまわないので、個人的には「巨人の星」にも「ドカベン」にも批判はない。反省すべきなのはマンガではなく、それを真に受ける大人の方だろう。

it has been called the force:02

チカラのある球(落合博満の証言)

1986年11月、日米野球第3戦(西武球場)、落合博満は初回の打席でセンターフライに倒れた。落合はこの打席について『野球人』(1998年12月9日第1版第1刷/落合博満著/ベースボールマガジン社/¥1,400)の『十番勝負其の四:たったひとつの結果が打撃を狂わせた』にこう書いている。

 モリスの投じてきた渾身のストレートを真芯で捕らえた。快音を残した打球は、バックスクリーンに向かって一直線。手応えも十分だった。
 しかし、一塁ベースの手前で打球を追うと、フェンスの手前で急激に失速し、何でもないセンターフライのようにマーフィーのグラブにおさまっていたのだ。
 私は大きなショックを受けた。芯を確実に叩いて力負けしたのは初めての経験だった。
 メジャーリーガーは、力と力の勝負をしている。(中略)投手の投げるボールの力を10とすると、メジャーはほぼ10の力で打ち返していくのに対して、日本では5くらいの力で打ち返す違いがある。
 私はメジャーの投手が放ってくるボールを5くらいの力で弾き返していた。つまり、メジャー流の投球に日本流の打撃で対抗していたのだ。そして(第2試合までは)、7打数4安打という結果を残していた。しかし、この打席でのショックが尾を引いたのか、次の打席からは10の力をもってボールを打ちにいったのだ。
 結果は、(中略)自分本来のバッティングとはかけ離れたスイングをしてしまった。試合も0対3の完敗。私の中には、モリスの投球を確実に捕らえた時の感触と、その打球が急激に失速したシーンだけが強く残っていた。

 

(落合博満33歳、この日米野球が初めてのメジャーとの対戦。落合にとっては三度目の三冠王に輝いた年であり、絶頂期を少し過ぎて円熟期、と言うか、とにかく脂の乗った時期だ。否、「絶頂期を少し過ぎ」たかと思わされるのはこの年を境にいくぶん成績が落ちたからだが、これがなかったらもっと絶頂期が続いたのかも知れない。少なくとも本人はそう考えているらしい。この年のロッテは稲尾監督解任、有藤新監督就任に揺れ、日米野球の翌12月には「世紀の4対1トレード」で落合は中日へ。

阪神バースに勝ってセ・リーグでも三冠王、と意気込んだが、自主トレでバットを振ってみて愕然とする。たとえようのない違和感。おかしい。自分のスイングができない。忘れたはずの「あの打席」のショックが、じつは体に染み付いていたのである。湧き上がる焦り。おそろしいことに、結局「本来の自分のバッティング」を取り戻すことは、この後1998年に引退するまでの12年間、ついになかったと言う。

いい話だ。そんな苦悩があったとは知らなかった、と思うと同時に、当時中日落合の三冠王を期待していた管理人としては、なんだ言い訳かよ、と思わないこともない。それはさておき)

「芯を確実に叩いて力負けした」という一方、落合はモリスの球速にいっさい言及していない。そのため、「球速では説明しようのない球のチカラ」を語っているように読める。球速で説明しないだけではなく、回転でも説明しない。「モリスのストレートは重かった。回転が少なかったからだ」という説があるとしても、たぶん落合は納得しないだろう。いや、オレはあのとき芯を確実に叩いて力負けしたんだよ、回転がどうのこうのってもんじゃないんだよ、球そのもののチカラだよ、と言われそうな気がする。つまり、ここで語られているのは回転説ではない。言うなれば「チカラ説」だ。

チカラ説はなにも落合博満独特の打撃観ではなく、野球経験者なら誰もが共有する感覚だろう。「いま行ったかと思いましたけどねえ、案外伸びませんでしたねえ。球に力があったんですねえ」とか「球威がバットを圧倒」とか「ヘッドが球威に負けて」とか「手応え十分だったのにフェンスの手前で急激に失速」とか「きっちりとらえたが球威がまさった」とか、選手も解説者もアナウンサーもしょっちゅう口にするし、新聞なんかにもよくそんなことが書いてある。例えば今中慎二さんも、「悪い球じゃなかったんですけど、ホームラン打たれるっていうことは球の力が落ちてきてるんでしょうね。多少疲れが来てるのかどうか」みたいな解説を普通にする。そういうとき、球速が落ちて来てるとは言わない。まさにチカラ説。チカラ説は人間の素朴な実感に合致するのである。

「The Heavy Ball」にはチカラ説が見当たらないが、そういう意見がアメリカにない訳ではなく、たぶん、記者が無視しただけだろう。チカラ説は「とにかく重い球ってのがあるんだよ」という主張と単にイコールなので、「とにかく重い球ってのがあるらしい」という記事の中では、取り立てて「説」と看做す理由がない。例えばある選手と記者の間に「ブラッド・ペニーの球はチカラがあるんだよ」「何故だと思いますか」「さあね。アイ・ハヴ・ノー・アイディア」というやり取りがあったとしたら、「彼はブラッド・ペニーの名を挙げた」としか書きようがなく、チカラ説は採録されることなく消えてしまう。というか、「とにかく重い球ってのがあるらしい」という記事そのものがチカラ説だ、と言うべきか。

前々ページのクルーンvs赤星の例だって、タイミングか当たりどころか何かが微妙にズレたんだろうと、【ファールになったおかげで】判断できるわけだが、もし仮に「惜しいセンターフライに倒れた」とかだったら、赤星自身も「カンペキにとらえたのに球威に負けた」と考えていた可能性は大いにある。そんなとき解説が岩本勉さんすなわちガンちゃんなら、「ピッチャーが白球に込めた魂ですね、その魂がなければ或いはフェンスオーバーもあり得たような、そういう、打球でしたね」とか語るだろう。要するにそれが、チカラ説だ。

◆ ◆

チカラ説をどう考えるべきか、微妙な問題だ。落合博満の体験談が落合博満なりの真実の反映なのは疑いもないが、文字通りにとれば、「投球の速度でも回転速度でも回転方向でも説明できない球自体のチカラに負けた」ということになる。そんなものはもはや「非・物理力」「オカルト力」、あるいはスターウォーズ的に言うと「Force」、スターウォーズ日本語版の字幕の訳で言えば「理力」とでも呼ぶしかなく、そんなものを信じる人はアホである。だからつまり、文字通りに受け取るようなものではない、と考えればいいのではないか。私としてはそう考えたい。

じゃあ「球速でも回転速度でも回転方向でも説明できない球自体のチカラ」とされるものの正体は、結局「球速(と回転速度や回転方向)」なのだろうか。落合博満は「スイングスピードもタイミングも当たりどころも力の配分もすべてがばっちりだったのに、球速(を主成分とし、多少は回転速度や回転方向なんかも関係するであろうところの、物理的球威)がまさったのでスタンドまで運べなかった」のか。チカラ説はすべて「物理的球威(主に球速)説」として解釈すればいいのだろうか。それも違う。

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球威はバットを圧倒するか

投球はバットで打ち返されて打球となる。打球のチカラの材料となるのはバットのチカラと投球のチカラだ。バッティングの目的が球を遠くへ打ち返すことだと考えると、材料のうち、打球音とか、バットの振動とか、温度上昇とか、打者に残る手応えとかに変換されたぶんは、ロス(損失)だと言える。ジャストミートするということはロスを最小限に抑えるということだ。ジャストミートした場合の損失率を仮に2割だとすると、こういう図で表せる(あまり科学的な図とは言えないが)。

●「ジャストミート」の概念図
「ジャストミート」の概念図

ジャストミートしても重い球」というのは、「ジャストミートしたにもかかわらず損失率が高い球」だろう。しかし、「完璧なジャストミートとはロスが最小のミート」と定義する限り、そんなものはあり得ない。「麦芽でつくるのがビール」と定義した上で「麦芽を使わないビールってあり得るか」と訊くようなもので、定義上あり得ないのである。

●「ハゲしくツマったバッティング」の概念図
「ハゲしくツマったバッティング」の概念図
●「重い球」の概念図(は、結局上のと同じになる)
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アニメ版「巨人の星」では、ここぞという場面で球が飛雄馬の手を離れてから打者に到達するまでがおそろしく長かった。ふんぬっと叫んで飛雄馬が投げる。ギュワーンと歪んだ球がスローモーションで迫る。打者がぬおおおおーっと叫びながらスローモーションで打ちにいく。当たる。ボールがバットにへばりつく。バットがしなる。さらに打者がぬががががーっと叫ぶ、画面が炎に包まれる。重厚な音楽が盛り上がる。打者に到達するまでも長いがインパクト時間もひたすら長い。「巨人の星」が描く「巨人の星型打撃観」は、投手と打者がインパクトのわずかな時間に、言わば

「投威」と「打威」

の力比べをして、前者がまされば打球は失速、後者がまさればホームラン、という、言うなれば相撲型打撃観だ。イチローや清原が「巨人の星」を見ていたかどうか知らないが、彼らが直球勝負を賛美するメンタリティの根底に、また落合博満の体験談の根底に、巨人の星型打撃観があるのは間違いない。ような気がする。だけどあれはマンガですよみなさん。現実にはジャストミートした時点で基本的に打者の勝ちだ。球のチカラ(球速・など)はジャストミートされたバットを圧倒する(或いはへし折る)ためのチカラではなく、ジャストミートを許さないためのチカラなのである。

卓球の世界ランカーにもーのーすーごーい強烈なスマッシュを打ち込まれるシーンを想像してください。あなたも必死で反応し、かろうじてラケットに当てる。球はあさっての方向に跳ね返り、手首にはイヤな痺れが残る。「球威に負けた」、そう実感するはずだ。しかし、それは「芯を確実に叩いて力負けした」のか? ワン・リチンの全力スマッシュはジャストミートしたラケットをも弾き跳ばすのか? と言えば、たぶん、それは違うでしょう。球があさっての方向に跳ね返り手首にイヤな痺れが残ったのは、ジャストミートできなかったからだ。そういうことです。

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江川は球質が軽かったのか

とは言え、作用反作用だけでバッティングのすべてが解明できようはずはない。例えばとんでもない速度でバットと衝突したボールは限度を越えて変形し、反発力を大きく損なうかも知れない(さらにとんでもない速度なら破裂するかも知れない)。だとすればそういう現象を、「どんなにジャストミートしてもロスが大きい」あるいは「どんなに完璧にミートしてもジャストミートが不可能」と呼べるのではないか。

と、いちおう考えることはできる。しかし人間の投げる球ではそこまではいかないようだ。『ベースボールの物理学』p117に、時速0kmから160kmまでの「異なるスピードでプレートを通るボールを、時速113キロの速度でバットを振って打つとき、そのボールがどこまで飛ぶか」を示したグラフが載っていて、これによれば球速(終速)120km/hより130km/h、それより140km/h、それより150km/h、それより160km/hの方が飛距離は伸びている(ただ、これは実測値を表現したグラフなのか、或いは理論値なのか、それすら書いてない。実測値を測定するには「異なるスピードでプレートを通るボールを、いつも一定のスイングスピードで一定のポイントで、バットの一定のスポットで一定の角度で打ち返せる神の如き打者」と、確かにそれらが一定だったと検証できる測定装置が必要なわけだが、そんなことはあり得ないので、理論値だろう。だとするとどういうモデルなのか。バットは長さ87.5cm、重さ900kg、仰角10度のスイングで、35度の角度でセンター方向へ打ち出す設定、とは書いてあるけど、ざんねんながらそれだけの説明しかない。これじゃどうやって信じればいいのかよくわからないが)。いちおうアデアはそう言ってる、ということを書いておく。アデアによれば、少なくとも現実的な速度域(終速160km/h とか)においては、作用反作用の法則が事実上成り立ち、ジャストミートしたのに球速がまさって飛ばないなんてことは、あり得ない。それどころか、ジャストミートした場合に限れば、球速が速ければ速いほど打球の飛距離は出る。

外野フライでも1点、という場面で球の速いリリーフ投手が登場し、直球で浅い外野フライに仕留めて三塁走者突っ込めず、というような場合、実況アナウンサーは好んで「いま、やはりスピードに押し込まれたんでしょうか関根さん」みたいなことを言うし、この台詞はあたかも「ジャストミートしたのに球速に負けた」ように聞こえる。それは野球的には真実なんだろうと思うが、物理的には、文字通りに受け取るようなものではない。

◆ ◆

速ければ速いほど打球の飛距離は出る、のだとすれば、「江川卓は球質が軽い」という伝説も簡単に説明がつく。江川の球は軽いのではなく、速かったのだ。そのため、軽くミートしただけでもよく飛ぶ。打者には「ありゃ? 合わせただけなのに意外に飛んだぞ」という実感が残り、だから「球質が軽い」と言われる。べつに球質が軽いわけではなく、速いだけなのに。

これは作用反作用説そのものだ。江川の球は速いので、おでこに当たったら即死かも知れない。つまり「作用」が大きい。その意味では重い。しかし軽くミートしても飛ぶ。つまり「反作用」も大きい。その意味では軽い。敢えて言うならば「江川の球は重いけど軽い」と言える。まあ、敢えて言う必要はないんだけど。

この理屈だけでは球が速いピッチャーは全員球が軽いことになる。実際の被本塁打率を左右するのは、たぶんそれ、プラスアルファだ。現役時代の江川に特別興味がなかったので何も覚えていないが、友人は江川が「球速の割に成績はそれほどでもなかった」理由を「内角をあまり突かなかった」せいだと主張している。そうなのか。また、『1985 猛虎がひとつになった年』の中でランディ・バースは、おおむねこういう意味のことを語っている。「江川は強打者に対してカウントが不利になっても決して四球に逃げることがなかった」「しかもその状況で、ストレートで勝負してくる。素晴らしいピッチャーだったし、尊敬している」

他にも、例えば回転が素直(has a pure rotation)だとか、抜く球をあまり有効に使えないので打者は速球に絞って待ちやすいとか、フォームが素直でタイミングが取りやすいとか、落ちる球がないとか、そういう総合的な理由で、「ミートしやすい」という現象があるんじゃなかろうか。

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チカラ説は妄想か

チカラ説は文字通りに受け取るようなものではなく、また、(球速を始めとする)物理的な球の威力でも説明できない。ではチカラ説はすべて妄想なのか。

個人的に、打たれるのは投手が悪いから、とか、抑えるのは投手がいいから、というような見方にはかねがね違和感を覚える。原因と結果が一対一対応するような単純な因果律で、野球の機微が説明尽くせるわけがない。なので「妄想か、さもなくば事実か」というふうな二者択一も気が進まないが、少なくとも「ジャストミートしても力負け」というのはマンガ以外にはあり得ず、打者が(あるいは観客が)そう感じるのはすべて、微妙にジャストミートに失敗してるのだと思う。

例えば日米野球における落合博満。対日本人投手の場合とは異なる微妙な心理、力み、思い込み、予測のズレ、予測のズレがもたらす微妙なタイミングまたはヒットポイントまたはグリップの力加減の微妙なズレ。そういうものが、自覚できないほど微かな不如意をもたらすとしても不思議はない。人はそういう時に「スイングは完璧だったのに球のチカラに負けた」と感じるのではないか。

チカラ説は体重説や腕力説と似ているが、たぶんそれは、回転が少ないせいだとか体重のせいだとか腕力のせいだとかいった「説明」に分化する以前の、未分化な、「とにかくチカラのある球ってのがあるんだよ説」だ。落合博満は、「5くらいの力で弾き返していた」のを「次の打席からは10の力をもってボールを打ちにいった」と書くが、具体的にスイングスピードがどう違うのか、どっちが速いのか、それともスイングスピードでは説明できない違いがあるのかないのか、ぜんぜん説明していない。自分の曖昧な感覚を曖昧なままに語っている。曖昧だなんて書くと落合に怒られるかも知れないが、つまり自分の感覚を感覚のまま述べ、「ボールの回転なのです」「作用反作用なのです」「体重なのです」みたいな安易な科学っぽい説明に流れていない。人はふつう説明を欲しがるものだが、その欲求に抗し、わからないことをわからないまま書いてあるところがイイ、と言いたい。

それと、落合の話はうっかりすると「5くらいの力で振ってた時はジャストミートしても力負けした。10の力でスイングするようにして、ようやくメジャーの投手に対抗できるようになった」という話のように読めてしまうが、ぜんぜん違う。第二戦までは7打数4安打、第三戦以降は16打数2安打だったと書いてある。力んで打てなくなった、という話だ。

◆ ◆

チカラ説は野球経験者だけではなく、野球ファンの実感にも合致する。以下は2007年8月、中村紀洋がフェンス上部を直撃する打球を放った場面の中日ドラゴンズ実況掲示板。

174:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:01 ID:zbCeeMds0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

183:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:13 ID:mDuLTOiM0
惜しいのキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!

185:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:16 ID:ttSqfwrc0
完璧・・・なのに入らないのかw

187:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:16 ID:y1l9utGQ0
おしいいいいいいいいいいいいいいいい

194:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:28 ID:9qK88tBc0
非力になったな・・・・・・

203:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/08/19(日) 18:11:55 ID:08gQJN5g0
打った直後は完璧
途中から失速してるね・・・

こういうのは星占いや血液型占いや細木数子の占いのようなもので、別にみんな本気で信じてるわけではないけれど、そういうフィクションを仮に信じているフリをして何事かの共感を共有して楽しむという、そういう性質のものだ。占い好きの人は非常に多いが、本気で占いを信じてる人なんてそんなにいないでしょう。どんなに占い好きでも、自分の会社の社長や自分の国の総理大臣が星占いと血液型占いと細木数子の占いで策を決めている、と聞いたら、いくらなんでもそりゃマズイ、と思う人の方が多いはずだ。「流れ」だってそうで、じつに多くの野球ファンが自明のように「流れ」を語るが、それを物理的に測定可能なナニかだと思ってる人なんていない。そうは思ってないけれど思ってるかのように語り合う、大人の愉しみというものだ。

大人の愉しみを強いて合理的に解釈するならば、「フェンスの手前で急激に失速」とは、打った瞬間には行ったと思った、しかし過大評価だった、ガッカリした、という心理描写だろう。その感覚は打った瞬間からではなく、打球を目で追い、「アレ? 足りない?」となった時点でようやく、いきなり、慌ただしく始まる。そのためエラく「短時間に起きた」ように感じる。すなわち「急激な失速」、そういうことだ。だって「球威がまさったために打球にチカラがなく、言わば『ダメージを負った』打球だった、それでも途中までは勢いよく飛んだけれどもダメージのせいで勢いを保てず、傷を負った敗残兵が力尽きるようにフェンス際で急激に減速」なんて、あり得ないでしょうマンガじゃないんだから。あると言いたい人は、どんなメカニズムでそれが起こり得るのか、仮説でいいから説明していただきたい。なるほどと思わせてもらえれば、私もすぐに考えを改めます。

◆ ◆

ついでながら、バットが折れたのに打球はホームラン、みたいなことが起きると、必ず「折れたバットでスタンドまで運びましたッ!もーのー凄い力ですッ!」とアナウンサーが叫ぶ。一方「バットが折れて打球は凡打」の場合は、「バットを砕きましたッ! へし折りましたッ! 球の力が勝りましたッ!」とか言う。あれってどうなんだ? 

「バットが折れるのは球のチカラがまさったから」も、「バットが折れたのに打球はホームラン、ということは物凄い腕力の証明」も、どっちも迷信じゃないかと思うんだけど。いや、確信はないが。



あらためて球の重さを考える