改メテ球質ヲ論ズ

think back about supernatural forces

何かをアヤシイとか迷信とか気のせいだとか呼んだとしても、それだけですなわち存在を全否定してるということにはならない。アヤシイ話も結果論も、ベースボールのうちである。
think back about supernatural forces:01

ユングとベースボール

ゲシュタルト心理学というのがある。ものごとは部分の総和ではなく、事実をいくら細かく分解して分析してもリアルな真実には到達できない(こともある)、特に人間の心理なんかについてはそうだ、というような主張(に立脚する心理学)だ。よく知らんけどオレの理解ではそうだ。例えばAという文字は3本の線分に分解できるが、その3本がそれぞれ「A」の意味を3分の1ずつ担っているのかというと、ぜんぜん違う。Aという文字を理解するためにAという文字を3本の線分に分解しても意味がない。その3本は「A」という字のカタチに組み合わされたときに初めて「A」の意味を持つ。心にとって、意味を担うのは全体のカタチ(ゲシュタルト)であり、個々の構成要素ではない。全体は(必ずしも)部分の総和ではない。

投球を「球速」「回転速度」「回転方向」「縫い目の方向」に分解して、それで説明できるものが「アル」、それで説明できないものは「ナイ」というのは、ある意味で確かに科学的な見方かも知れないが、唯一の正しい科学的な見方とは思わない。例えば、脳波と体温と呼吸の速度と発汗量と血圧とホルモン分泌を測定してデータを積み重ねるのが、人の恋愛心理の全体像に迫る唯一の正しい方法でないように。

1958年、83歳のC.G.ユング(Carl Gustav Jung)は『現代の神話-空中に見られる物体について』という本を出した。生前に刊行されたものとしてはユング最後の著書で、邦題は『空飛ぶ円盤』(1976年/朝日出版社)。序文に、大体こんなようなことが書いてある。

年々おびただしい観察例が報告されているにもかかわらず、空飛ぶ円盤が物質的に実在するかどうかは不明確なままだ。こつこつと学者としての実績を積み上げてきた者にとって、そんな怪しげなものを話題にすることがいかに危険か、重々自覚している。それでも、自分の世間的評価を危険に晒してでも、私はいま、空飛ぶ円盤の話をしたい。

空飛ぶ円盤というものに物質的基盤が、例えばあるにせよ、或いはないにせよ、心理的基盤は間違いなく存在する。「空飛ぶ円盤は実在するか」という問題の答がどうであれ、「人が空飛ぶ円盤を見てしまうという現象」は、事実、あるのだ。そのことの意味は決して小さくない。

私は物理学者ではないので、空飛ぶ円盤の物質的側面について語る能力はない。私は心理学者なので、事実存在する「人が空飛ぶ円盤を見てしまうという現象」の、心理的側面について語ってみたい。(nobioによるてきとーな要約)

素晴らしいですねコレ。50年を経てもユングの問題意識は古びていない。ユングとベースボールにはもちろん何の関係もないが、この文中の「空飛ぶ円盤」は、「ジャストミートしても重い球」にそっくり置き換えることができる(ちなみに「流れ」とか、「ポップフライでもバットを振り切っていればいいところに落ちるという現象」とかにも置き換えることができる。要するにアヤシイことならだいたい当てはまる)。

アマチュアからプロにわたるおびただしい証言の存在にもかかわらず、「ジャストミートしても重い球」が物理的に実在する現象かどうかは不明確なままだ。しかし、そこに物理的基盤があるにせよ、ないにせよ、心理的基盤は間違いなく存在する。「ジャストミートしても重い球というのは物理的に実在する」という命題が真であれ偽であれ、人が、ジャストミートしてもなおバットを圧倒する「球のチカラ」を感じてしまうという現象は、事実、ある。そのことの意味はベースボールにとって、決して小さくない。物理的に、仮に錯覚、あるいは迷信だとしても、野球的には真実なのだ。

think back about supernatural forces:02

神仙力

有能な人をキレ者と呼ぶことがあるように、キレもノビも、物理だけでは解釈できない(こういうことを言うと必ず「日本語というのは奥深いよね」で納得する人がいるが、べつに日本語だけが奥深いわけではなく、「rise」や「crisp」「sharp」だって同様だろう)。マジメにぼやいてみよう:『球のキレとノビ』で小谷さんは「結果として打者をきちんと抑えている投手の球は誰が見ても『キレがいい』」と述べ、キレ(と言いたくなる感じ)には、(球自体の物理的状態だけではなく)コントロールなんかも関係ある、というあたりを指摘しておられる。低めに構えたキャッチャーミットに寸分違わずピシリピシリと球が吸い込まれてバッターがキリキリ舞する、そういう光景を見ると、おお、キレてるゥ、と、なんか、感じてしまうのである。「抑えてはいるが逆球が多い」だと、キレてるゥ、とはならない。「きょうの松坂、球のキレ自体は最高ですが制球に苦しんでヨレヨレです」なんて言い方するアナウンサーも、まずいないだろう。そういう時は普通「球自体は走ってると思うんですが、制球に苦しんでヨレヨレです」みたいな表現になる。「走ってるけどヨレヨレ」はアリだが、「キレてるけどヨレヨレ」はオカシイ。何故ならキレは「褒め言葉」だからだ。

漫画『バガボンド』第五巻「#43」冒頭、宝蔵院胤舜と対峙して堅くなった武蔵の剣を、祇園藤次が内心こう評する。

芸がない

しかも伸びもない

………どうした?

この「伸び」がバックスピンによるホップのことでないのは明らかだが、ではどういう意味かと言うと、剣の速度のことかも知れないし、加速度のことかも知れないし、まあその、いわく言い難いところを指摘したいのかも知れない。達人の寿司の握り具合が単純な握力では説明できないように、達人の剣は速度や加速度だけでは説明できないだろう。個人的にはそういう解釈で不満はない。また、日本語だけがことさら奥深いとは思わないが、一般に東洋人が「説明しがたい神仙力」のようなおとぎ噺を好む、とは言えるかも知れない。

  • 達人の剣は一見ニブいように見えて、実際は恐るべき速度を持つ。
  • 達人の蹴りは一見緩いように見えて、実際は恐るべき破壊力を秘める。
  • 達人の打球は一見勢いに欠けるように見えて、凡夫の予測を裏切り、風を切り裂き千里の距離を飛んでゆく。

・・・とかって、中島敦の世界というか、東洋の仙人っぽいでしょう。「達人の寿司は無造作に見えて、口に入れるとはらりとほどける」なんてのもそうかも知れない。漫画「ドラゴン・ボール」やジャッキー・チェンのカンフー映画にも、「賢者の眼は一見眠そうに見えて、実は一瞥で真実を射貫く」みたいな設定はよくある。「スターウォーズ」でもジェダイの騎士が「force」という神秘的なチカラを用いる。「スターウォーズ」はハリウッド映画だが、ヨーダの顔が故・宮沢喜一と似ていることはよく知られており、あれが典型的な東洋インスパイア系(この意味がわからない人は「○○インスパイア系」でググってください)なのは明らかだ。「キレ」「ノビ」「重さ」の何パーセントかは「科学では説明できない神秘の神仙力」という類いのファンタジーであり、その意味では「force」と似ている。

プロゴルファー(あるいはレッスン・プロ)坂田信弘原作のマンガ『風の大地』も、「重き球質には軽やかな勇気、軽い球質には重い勇気こそが似合う」だの「剛直なるスイングは縦の風を制す、しかし横風を制するにはやわらかきスイングが必要」だの「運命を背負った者にスコットランドの大地と風は優しい」だの「時間は息をしている」だの、「風の間をすり抜ける」だの「風の壁にぶつけて落とす」などなど、神仙力の宝庫だ。神仙力とかファンタジーというのは、妄想というのとほぼ同じ意味だが、完全に同じではない。ファンタジーは時として真実を含んでいたりして、その意味では「ことわざ」と似ている。私としては、「ジャストミートしても重い球」を、迷信とか錯覚とかじゃなく「ファンタジー」と呼びたい。「気合の乗った球は打たれない」とか「野球には流れというものがありますからねえ」のようなものだ。ことわざに文句を言っても仕方がない。例えば、今日の山本昌はボールに気合が乗ってますよ、と語る解説者に、気合なんてものは計測可能な物理量じゃありませんよ、迷信ですよ松本さん、とアナウンサーが本気で言い返したら、それはそれでバカでしょう。ファンタジーに文句を言っても仕方がない。松本さんの言いたいことはなんとなくわかるんだから、そんな意地悪言わなくてもいいじゃん。下図は小学館『風の大地』第45巻より。

「ミスター・オキタのボールは、200ヤードから一伸びを見せ、230ヤードから二伸びを見せ、260ヤードから三伸びを見せ、290ヤードから四伸びを見せる」

◆ ◆

とても魅力のある女に出会った」という発言に対し、「その『魅力』というのは物理的に測定可能な量なのか」なんて突っ込むヤツはいないだろう。人が人に魅力を感じたり感じなかったりというのはとてつもなく複雑不可解な現象で、科学ごときでは解析不可能、と誰もが無意識に了解しているからだ。なのに、だれそれの球は「とてもキレのある球だった」とか、「とても重くて振り負けた」とか言われると、あーだこーだと揚げ足を取りたくなる。考えてみれば、ベースボールに対して謙虚さを欠いている。人の魅力は複雑だが、ベースボールの不思議なんて単純だろ、せいぜい「球速」「回転速度」「回転方向」「縫い目の方向」じゃん、と、高を括っているのだ(オレが)。失礼な話だ。

投球の質のすべてが「球速」「回転速度」「回転方向」「縫い目の方向」だけで説明できる、ワケがないではないか。身長・体形・顔のイメージ、表情。間違いなくそういうものが影響する。

女の魅力を醸し出す諸要素のうち、「身長・体形・顔のイメージ、表情」は何パーセントを占めるだろう。率直に言ってかなり大きい、と思う男が多いのではないか。ことの是非はともかくとして、「身長・体形・顔のイメージ、表情以外に何があるんだよ」と言い切る男さえ珍しくないような気がする。一方、投球の質を規定する主な諸要素は少なくとも「球速」「回転速度」「回転方向」「縫い目の方向」プラス「身長・体形・腕の長さ・顔のイメージ、表情」があり、それ以外に当然「投球フォーム・コントロール・持ち球(球種)」がある。さらに実戦となれば、投球間隔、その投手のコントロールの精度に対する先入観、配球、その捕手の配球についての先入観とか、いちばん大事な心の有り様とか、その打席に至るまでの経緯とか、球場の雰囲気とか天気とか湿度とか風とか、「勇気」「気合」「覚悟」とか「平常心」「駆け引き」「迷い」などなどが関係する。であるならば、「投球の質」は「女の魅力」よりも複雑な概念、とすら考えられる。・・・と、いうのはまあ半分冗談だが、高を括っている場合ではない。

実際、一番速いのは誰か、というアンケートに、ある打者は藤川球児を、別の打者はダルビッシュを、別の打者は岩隈久志を、別の打者は山口和男を挙げる(集英社「Sportiva」2008年8月号)。また、藤川球児の真っすぐを、A・ロッドは「あんなストレートは見たことない。下から上がってくるんだぜ」と評し(Wikipedia「藤川球児」の項による)、石井琢朗は「ホップするイメージはないが高めのボールを振らされる」と語る(「Sportiva」2008年8月号、p.78)。こういった個々人での感じ方の食い違いを、ニュートン力学で説明できるだろうか。仮にできないとして、では、ニュートン力学で説明できない以上は妄想である、と結論するべきだろうか。オレはそうは思わない。キレとかノビとか重さとか「球質」とかを、「女の魅力」と似た形式の概念だと考える方が実情に近いのではないか。少なくともそういう側面はあると。詩的な現象はそうして詩的なまま理解しておくのが、いちばん効率がいい。そう考えると、それは物理的にほんとにあるのか、なんてキリキリ問い詰める方がむしろバカみたいに思えてくる。以下は「教えて!goo」で見つけた「キレ」の説明の決定版。

教えて!goo > エンターテインメント > スポーツ > 野球
Q No.3538600:球のキレとは?
質問者:siniti009 | 質問投稿日時:07/11/22 14:19

野球中継を見ていて例えば巨人の「上原投手は直球にキレがありますね」などと解説者の方が言いますが、私にはテレビ画面上で見て球がキレているのかどうか判断がつかないのですが、皆さんはどこを見て球がキレているのかいないのかの判断をしているのでしょうか?(後略)


A No.6
回答者:5050japon | どんな人:一般人 | 自信:自信あり

そんな、キレなんてなんとなくです!(爆
いつも思いますが、こういうことって定義付けしたほうがいいのでしょうか??
こういうのは定義付けしないほうがいいですよ、絶対。

野球経験者ですが、上原の140kmと高校生の140kmじゃ全く違いますよね。
ハタから見てもそうですし、打席に立つともっと違うと思います。
「ピュッと来る」のが切れがある球です。
「打ちにくい」のが切れがある球です。
スピードや回転、初速終速だけではないのですよ。
もちろんそれもありますけどね。
投げられた「ボール単体」を見て言っているのではないと思いますよ。
ピッチャーとバッターを隠してボールだけ見たら、
そんなの分かりっこないと思いますよ。

フォームは重要ですよね。(しかも日によって変わります)
投げる腕をどれだけ打者に見せないようにするか。(←これ重要だと。
首の振り方・体の使い方とか。(これも日によって変わります)
変化球を投げるように見えて真っ直ぐが来る。
変化球が良く曲がる日だった。
タイミングがとりづらい。
打者との相性もあります。
その日の調子もありますよ。内角にズバズバ行くとか。
その日のメンタル面、気合とか。

プロのバッターが、いつもは打てるのに
みんなして詰まったり空振りしたりするというのは、
ピッチャーに起因しているとしか考えられません。
あとは、精神的に「こりゃ打てないな」と思わされているとか。
全てを感じ取って、バッターはそれなりの反応をし、
打球を飛ばすか詰まるかしているわけです。

どちらにしろ、投げられたボール単体だけで科学的に判断することはナンセンスです。
「今日は気迫があった」「気持ちが入っていますね」とかあるじゃないですか。
野球ゲームじゃない、人間がやってるんですから。
小さいころから毎日毎日ボールを投げてきた人たちが、
気持ちを入れて投げるんですから。
プロって相当すごい世界だと思います。
(中略)
まあとりあえず、いろいろですよ。いろいろ。

これ説得力ありますね。感動した。ただ、「ボールだけ見たら分かりっこない」かどうかは私にはわからない。ボールだけ見ても藤川球児の球はホップしてるように感じるけどなあ。とは言ってもテレビ画面上で藤川を隠して球だけを見てみた経験はないので、なんとも言えないが。

think back about supernatural forces:03

究極の論理、孝政流。

「ジャストミートしても重い球」があるのかないのかについても、考えてみればオレは、それほど興味ないのだった。べつにどっちでもいい。あるならあるで全然いい。2点差の最終回二死満塁で、快音を残しイッタかと思われた打球が平凡な外野フライ、打者はうなだれ投手は歓喜のガッツポーズ、という結果が出れば、要するに(どんな理由であれ)投手の勝ち、打者の負けだ。凡打の理由を

A:「ミートが不完全だった」あるいは「タイミングが微妙にズレた」と考えるか、
B:「完璧に捉えたのに非力だった(球威がまさった)」と考えるか、

両者は物理的にはまったく違うし、数ページにわたってダラダラ問題にしてきたのはまさにその点なのだが、ただ、物理的にはそうでも野球そのものにとってはどっちでもいい話だ。とにかく投手が勝ち、打者が負けた。投手に尋けば「あそこはもう気合しかないッス」と言うだろう。打者は「力負け。言い訳してもしゃーない」と言うだろう。もっと情けない当たりだったら「もっと力負け」のはずなのに、もっと情けない当たりがふらふらぽとりとライト線に落ちて走者一掃、という結果なら、打者は決して「力負け」なんて言わない。胸を張って「振り負けないように強く振り抜いたからこその結果だと思います」とヒーローインタビューで語るだろう。すべては結果論だ。ザッツ・ベースボール。「ジャストミートしても重い球」があるのかないのか、なんてことは、誰も気にしてないし、気にする必要もない。

すべては結果論、ということの例をもうひとつ。2007年6月の金沢で福留が放った快心の場外ツーランを評した谷沢さんの発言。

●谷沢健一さん in「プロ野球ニュース」2007/06/20 wed

久し振りにねえ、福留がねえ、ステップした足がねえ、まあ右のカベと言いますかねえ、そこに一瞬止まってねえ、ヘッドが一閃しましたよねえ。これだけねえ、スーッとこうテークバックを取ってねえ、そして、えー、右のカベがねえ、できて、そしてこう、ピッチャーの方に突っ込んで来ないで、突っ込み過ぎるとこう、みょお〜ってなってたでしょ、それが、こう、抑えられて、ヘッドが走るというね。まあ、素晴らしい、あのー、今シーズンこういうホームランは初めて見ましたよ。

何度読んでもいいですねコレ。魅力的な語りだ。内容は簡単に言うと「体が開かなかった」と。まるで、うまく打てた原因を解説しているみたいだが、違う。「うまく打った」という結果を詳しく語っているのだ。その証拠に、空振り三振に終わった打者に対して「今のはみっつとも空振りでしたけど、みっつとも、スーッとこうテークバックを取ってねえ、右のカベができて、ヘッドが一閃した素晴らしいスイングでしたよ。ただ結果的に当たらなかっただけでねえ」なんて語ったことは、たぶん、ない。「いま結果はホームラン打たれましたけどねえ、チカラのある球でしたよ」なんてことがまず言われないのと、構造は同じだ。

落合博満も「芯を確実に叩いて力負けした」と書くし、「案外伸びませんでしたねえ。球に力があったんですねえ」とか「球威がバットを圧倒」とか「ヘッドが球威に負けて」とかしょっちゅう聞くし、また小松さんも佐野さんも当たり前のように「手応えの重さ」と「飛びにくさ」をシームレスに同一視し、手応えの重い球はジャストミートしても飛距離が出ない、と言う。いくらジャストミートしても球威がまされば打球は失速するだとか、簡単にホームラン打たれるのは球威がないからだとか、みんな本気で思ってるかのようだ。しかし違う。そーゆーのはすべて「外野フライどまりだったってことは球威に負けた」「打たれたってことは球威がなかった」という式の結果論であり、また、それでいいのである。

◆ ◆

2008年、交流戦のさなか5月29日のナゴヤドーム、我がドラゴンズはパ・リーグの最下位あたりを低迷するオリックス・ブルーウェーブに惨めに連敗し、東海ラジオ解説の鈴木孝政さんは「中日は去年のチャンピオンチームですから、オリックスはチャンピオンを倒すんだっていう意気込みで、必死に、ひたむきにぶつかって来てますよね。突然の監督交代っていうチームのピンチとも相俟って。一方の中日はそれを、受けちゃってますよね。何かこう、受けに回るっていうか、相手の出方を見て合わせて立って、横綱相撲で勝とうっていうか・・・もちろん選手はそんな意識はないと思いますよ。必死にやってると思いますけどね、ただ、そういうふうに見えちゃいますよね、こういう結果だけにね」と、孝政さんふうな言葉で孝政節を語った(ちなみにこの日試合後の落合監督の談話も「向こうはシーズン途中で監督が変わって個々が必死、それを受けて立ったらやられるわな」と、孝政さんとほぼ一致した。まあそんなことはどうでもいいんだが)。

  • 中日の選手も必死にやっていると思う。
  • ただ、必死でやってないように見えちゃう。

このふたつをこの順番で言うことで、全体として「もっと必死でやらなきゃダメ」というメッセージになる。前半で冷静な見方を述べ、後半でそれを覆す熱い思いを語る。「Aとわかってるけど、どうしてもB」。これはふつうによくある論法で、特に苦言を呈する時には便利だ。「ほんとは頑張ってるんだろうけど、覇気が伝わってこない」とか「本人の意識としては必死で食らい付いてるんだろうけど、淡白に見えますよね」のように。苦言じゃなくても、「あんな男やめておけってみんな言うわ。だけど彼でなきゃダメなの」とか「彼はいい人よ。でも、ときめかないの」とか「幽霊なんていないってわかってるさ。でもホントに見たんだ」など、同じパターンの例文はいくらでも作れる。決して言い負かされることのない究極の論法というものはさまざまあるが、これもそのひとつだ。どんなに理性的な説得も「だからそれはわかってるってば」と言い返されれば無力だろう。

  • 物理的にどうかって言われたら、球の重さ/軽さなんてものはないのかも知れませんよ、そりゃね。
  • ただ、球が軽いように見えちゃいますよね、どうしてもね。こういう結果だけにね。

こう言われたら、反論してもしょうがないと思う。そりゃそうかも知れませんね、ということでいいんじゃないか。野上亮磨だって監督を信じて食べまくったおかげで体重を増やした。もしそれが体格や腕力や球速やスタミナの面でプラスになったとしたら、まさにことわざの効用と言える。「おヘソをカミナリ様にとられるよ」と脅されることで子供が腹を冷やさない、というのと同じだ。それでうまくいくなら、それはそれで悪くない。それどころか、体格や腕力や球速の面でプラスになった結果、「野上の球はチカラがある」「芯を確実に叩いても力負けする」と打者に言わせるケースが増えたかも知れない。時としてファンタジーは、真実を含むのである。

◆ ◆

ところで、「ジャストミートしても重い球」が怪しいファンタジーなら、回転説とか体重説とかは、ファンタジーを科学的に説明しようという試みだろう。怪しいファンタジーに文句を言う気はないし、ファンタジーを科学的に説明しようと試みること自体にも、もちろん文句はない。困ったもんだと思うのは「一見科学のように見えるあまりにもトンチンカンな論理」と、「そういうのがあまりにやすやすと信じられてしまうらしいこと」だ。怪しいファンタジーに文句はないが、怪しい科学には文句を言いたい。みんなねえ、慣性モーメントだの力積だの角運動量だの反作用だのスパイラルリリースだのスクラッチモーションだのCアーチだのと、男子を誘引するカッチョイイ言葉の響きに弱過ぎるんじゃないか。そういうのについて、もう充分に文句は言ったので、気が済みました。

think back about supernatural forces:04

納得いかないあなたのために

球の重さについては、何がファンタジーだよ素人がふざけんな、現にほんとうに手にズシンと来る球ってのがあるんだよ。お前が知らないだけだよ。オレらみたいにちょっと本格的にやってみりゃイヤでもわかんよ、という人は多いだろう。そういう方はどうか、実験してみてください。

| 教えて!goo | Q No.3468527 | 重い球と軽い球の違いについて | 質問者:black_red1 |

過去ログをよく読んだり、ネット検索をして調べましたが、納得のいく回答がなかったので再度こちらにて質問をぶつけさせて頂きます。球が速い遅いに関わらず、重い球と軽い球は絶対に存在しています、それはキャッチャボールをしていれば分かるからです、何故なんでしょう?(中略)回転数が多いと軽い、少ないと重いというならばプロでは150kmのフォークボールが高めに浮いたら簡単にホームランになってしまうのは何故でしょうか? フォークボールを打った打者に「重いボールだった」などという話は聞いたことがありません。また、実際フォークボールを捕球しても重いと感じたことはありません。(中略)

実際にキャッチボールをしていても球がすごく速い人よりも他の100km前後の球を投げるボールの人ほうが手が痺れる、球が重いという事がまれにあります。それは何故でしょうか?(中略)目に見えない、または錯覚的なボールの変化(回転数が少ないため)のため、バットに当たる位置が多少ずれ、それで重い軽いは当然あります、グローブで捕球する位置もボールが変化をして(回転数が少ないための錯覚的な変化)多少ずれがありジャストに捕球できない場合もあるかもしれませんが、キャッチボールなのでいつもポケットからずれてキャッチングしているわけではなく、きちんと捕球しても痺れます、そして重く手首までズシンと来るのです。

球が重い人とキャッチボールをすると最初から最後まで球が重いのですから捕球する位置ということではないはずです。65kg〜67kgくらいの人2,3名の重い球を受けたことがありますので、体重の重い軽いも関係ありません。体にズシンと感じているので捕る人の錯覚では決してないはずです。

いろいろと調べてみましたが、物理的に説明できない何かが作用しているとしか思えないのですが。打者からしたら感覚で片付けられる問題かもしれませんが、キャッチボールで球を受けている人が感じていることを錯覚では片付きません。過去ログの中にもキャッチボールをしていて小学生の球でも重い球と軽い球があるという意見が出ており、それに対する明確な回答が出ませんでした。私自身もキャッチボールで重い球といわれているのですが、それが何故なのか分かりません、ながながとなりましたが、よろしくご回答お願い致します。

質問投稿日時:07/10/28 14:30

2007年の10月にネット検索をしたということなら、たぶんこの人はウチのこのページも読んでくれたのだろう。でも納得いかなかったのだろう。何故ならキャッチボールをしていれば重い球と軽い球は絶対に存在しているからだ。この質問にはたくさん回答がついているが、そこでのやり取りによると、軟球での話だという。軟球で 100km 前後でそんなことがあるんですね。

「まれにあります」とあるので、この人にとっても微妙で曖昧な現象なのだろうか。しかし、「球が重い人とキャッチボールをすると最初から最後まで球が重い」ともある。それなら非常にはっきりした、疑いようのない現象なのか。ああ、私も受けてみたい。

しかし、人はすぐに「何故重い球と軽い球が存在するのか」と考えがちだけれども、それは間違っている。「何故透視ができるのか」とか「何故ダウジングで水脈(あるいは、なくした指輪)が発見できるのか」とか考えるようなものだ。そんなことを考えるより、「本当に透視は可能か」「どんな実験をすれば透視能力の証明になるか」を考えるのが先でしょう。透視能力の存在を証明した人は、まだいない。要するに、そんなものはない。「何故透視ができるのか」は、透視能力の存在が証明されてから考えればいいことだ。

例えば細木数子の予言なんか、けっこう外れている。外れているのに「なぜ細木数子はプロ野球の優勝チームを予言できるのか」とか考えるのはナンセンスだろう。原因を考えるよりも、当たることを証明するのが先だ。細木数子の場合、当たらないことがすでに証明されているわけだが。

物理の素養のない人が頭の中で考えて、球の重さの原因を解明できるとは思えない。逆に物理に強い人なら、まず最初にこう考えるはずだ。「その現象は本当にあるのか」と。キャッチボールをしていれば重い球と軽い球は絶対に存在する、と主張する野球経験者は日本にも多いしアメリカにも多いらしいが、それを明白な事実として証明した人は、かつて1人もいない。証明できるような実験を考えて、実行して、レポートにまとめることには、非常に大きな価値がある。どなたかぜひ挑戦してみてください。

◆ ◆

例えばコントレックス(Contrex)というミネラルウォーターがある。硬度(カルシウムとマグネシウムの含有率)が高いことで有名で、かなり変わった味がする。これをサンプルに「聞き水テスト」の手順を考えてみた。

聞き水テスト:

紙コップを10個用意し、うち5つの裏に鉛筆で軽く星印を描く。星付きの5つにコントレックスを、残りに「六甲のおいしい水」を少量ずつ注ぐ。コップをシャッフルし、どれがどれだったかわからない状態にする。ひとつずつ飲んでみてコントレックスだと思ったコップは右に、六甲のおいしい水だと思ったコップは左に置く。終わったら右の5つをひっくり返す。

実際にやってみて、私は楽勝で星5つを揃えました。何度やっても揃える自信がある。舌の自慢をしているわけではなく、それだけコントレックスは変わった味がするのである。同じ方式を、キャッチボールにあてはめてみよう。

聞き球テスト(リハーサル):

球が重いと定評のある人Aと、軽いと定評がある人Bを用意する。この2人を相手に、塀越しにキャッチボールをする。A、Bにランダムな順序で投げてもらい、あなたが捕る。塀の高さは2メートルちょっとあればいいだろう。この状態で両者の球の違いをはっきり感じられるかどうか、やってみる。

どっちが投げた球か、あなたからは見えない。投げ手からもあなたが見えないのでコントロールがむずかしいかも知れないが、旗でも立てて目印にすればいい。AとBの投げる球は、「コントレックス」と「六甲のおいしい水」くらいにはっきり違うだろうか。このテスト、べつにむずかしくないでしょう。本気で不思議ならこれくらいはやってみていただきたい、と私は思う。ただ、これだけではまだ「捕る人の主観でしょ」と言われてしまう。どうしたらいいだろうか。私の試案は次のようなものです。

聞き球テスト(試案):

「テスター」(キャッチして重さを判定する役)を5人用意する。プラス、球が重いと定評のある人Aと、軽いと定評がある人Bを用意する。あなたは「オブザ−バー」(とりあえず筆記係)を務める。塀の向こうからAとBがランダムな順序で投げ、テスターが一球ごとに「重い」「軽い」「パス」のいずれかをジャッジし、それをオブザーバーが記録する。5人のテスターが1人40球ずつ受け、全200球試行する。

ジャッジを「重い」「軽い」の二種にしてしまうと、自信がない場合に当てずっぽうで申告することになる。「パス」という選択肢があれば、はっきり感じた場合だけに集計対象を絞ることができるはずだ。また、投げる順番がジャッジの当たり外れに影響されないように、あらかじめ200球ぶんの投げる順序を決めておく方がいいだろう。コイントスで決めてもいいし、AとBの球数が均等になった方がいいとすれば、トランプをシャッフルして赤と黒の順番で決めるとか、方法は何でもいい。

200球中、例えば80球が「パス」だったとしたら、集計対象は120球となる。その中で「重い」とジャッジされた球がすべてA、「軽い」がすべてBの投げた球だったら、凄いことだと思いませんか。

いや、「はっきり違う」と主張する人にとっては単に当たり前だろうが、「ほんとだろうか」と思ってる層に対しては衝撃的な結果だ。そしたら日を変えて、同じ実験を計三度やる。できれば球速も一球ごとに測定すべきだろうが、最初からそこまでできなくてもいいと思う。それをすべてレポートにまとめて、最後にこう書く。「以上によって、球の重さが気のせいでないことは明白に証明された。どういうメカニズムなのかは、まだわからない」。

そんなレポートを作成することは、力積がどうとか回転モーメントがどうとか作用反作用がどうとか考えるよりも、はるかに価値がある。メカニズムについて頭の中でいくら考えて新説を唱えても、所詮はっきりしたことは何もわからず、素人の不確実な新説がひとつ増えるだけのことだ。しかしこの実験は、最低限のはっきりした事実を確定するだろう。少なくとも、確定への道を大きく切り開く。歴史を変えるレポートと呼んでもおおげさではない。実際にやってみた人は、ぜひこちらから、私にも教えてください。

[2008/07/12]



「ツマる」の科学