中里篤史、その故障と復活の記録

1982/09/12 - 2007/05

中里篤史という選手が投手生命を絶望視される程の大怪我を十代で(しかもグラウンド外で)負い、そこから復活への苦難の道を辿って来た、という話は割と多くの野球ファンが知っている。いや多くはないにしても、実績の割には多い。中里は「実績の割にファンの期待度がアンバランスに高い選手」である(2007年5月現在)。しかし、いつどういう怪我をしてそれからどんなリハビリをして何年後にどうなって、というディテールを一望できるような資料は、知る限りでは存在しない。応援サイトなんかがいくつもあり、みなさん私などよりよほど(野球にも、中里にも)詳しいんじゃないかと思うのに、何故だろう。その意味では「ファンの期待度の割に基礎データが少ない選手」でもある。おかげで、中里を知り中里に興味を持ってから、その故障歴の全体像を把握するまでにはけっこう苦労した。せっかく苦労して知ったことなので、ここに集めておきます。
ソースは基本的にネット上の噂話なので、鵜呑みにせず、疑いの目で読んでください。

1982/昭和57/age.00

▼9月12日、埼玉生まれ。主な同級生は中田賢一、土谷鉄平、一場靖弘、内川聖一、狩野恵輔、坂元弥太郎など。小学2年のときに「岡ファイターズ」で野球(軟式)を始めて以来投手1本。朝霞第二中では3年生時に県大会8強入り。

1999/平成11/age.17(この年の誕生日を迎えての満年齢)

▼春日部共栄高校2年の夏、埼玉大会準々決勝で聖望学園にサヨナラ負け。

2000/平成12/age.18/高3-ドラフト

スカウト集結!春日部共栄・中里140キロ発進

▼(SANSUPO.COM)プロ注目右腕が140キロ発進! 埼玉大会で春日部共栄・中里篤史投手(3年)が不動岡との1回戦に先発。MAX140キロの真っすぐを武器に7奪三振をマーク、5回を1安打無失点に抑えた。

春日部共栄 12-0 不動岡。30度を超える猛暑の中、夏の太陽よりも光り輝く選手の姿がマウンドにはあった。春日部共栄の右腕エース・中里。桐生一(群馬)・一場、東海大相模(神奈川)・筑川とともに“関東三羽ガラス”と呼ばれる逸材がベールを脱いだ。10球団・13人のスカウトが見守る中、不動岡の先頭打者に、1球も振らせず3球三振。始まりから鮮烈だった。

その後も鋭いカーブと直球で凡打の山を築き、終わってみれば5回を打者16人の1安打&7奪三振の完ぺきな内容。「まだ7割くらいの力だし、直球も全然ダメ…」と自己最速147キロを誇る右腕は、この日のMAX140キロに不満タラタラだったが、逆にそれが大物感を漂わせた。5月末の練習試合で右ひざに打球を受けるアクシデント。調整が遅れが心配される中での夏初戦だったが、オリックス・渡辺スカウトは「投げる姿はもちろん、打つ、走るにもズバ抜けた運動能力を感じます。これからですよ」と今後への不安を打ち消した。

入学当時、1メートル82の長身も、体重は60キロときゃしゃだった。しかし、その素質を見抜いた本多監督はつきっきりで指導。「いままでオマエには色んな経験をさせてきた。それを一つひとつ振り返れ」。試合前、そう檄を飛ばした。その結果がこの快投。「全試合、中里を先発させる」と本多監督の信頼は絶大だ。まさに平成の新怪物候補だが、試合を離れれば普通の高校生。スタンドから見守った母親・美紀子さん(41)は「洗剤がないとかいうときじゃないと電話もしてこないんです」と寮生活をする息子を心配する。

「次の試合まで5日間ありますし、調子を取り戻したいです」毎試合、応援に駆けつける母に、少しでも長くその勇姿を見せるためにも、最後の夏、中里は力の限り投げ続ける。中里 篤史(なかざと・あつし)1メートル83、73キロ。右投げ右打ち。目標は西武・松坂。

春日部共栄・中里13K初完投8強入り

▼(SANSUPO.COM)今夏16イニング目の初失点は二回だった。一回の立ち上がりは3人斬りの完ぺき発進。奪三振記録を『15』としたが、朝霞の二回先頭・野村に左翼線二塁打を浴び、女房役・足立の捕逸で三塁を許すと、5番・山本に2球目をスクイズされ、初失点。しかも先制点だ。さらにヒット、暴投、死球で二死二、三塁。しかし、中里は冷静だった。「点はいつか取られるもの。それより失点したあと、いかに落ち着くかです」。日頃からそう公言する男に浮き足立つような弱さはない。9番・小林を自慢の真っすぐで空振り三振に仕留め、味方打線の援護を引き出した。

中里は九回にも激しい雨で球が滑り、死球と2四球で無死満塁のピンチ。暴投で1点を献上した。「いつもの足立なら取ってくれるのに」とさすがに動揺しかかけたが、ここから気迫で3者連続三振。ちょっと盛り上げるのも新怪物の務めであるかのように、終わってみれば9回完投で4安打2失点&13奪三振。通算では23回で38奪三振と彩の国が誇る奪Kマシーンは引き続き健在だ。本多監督はさすがに「バッテリーにはお説教です」と渋い表情だったが、中里は「欲しいとき三振も取れたし、まずまずです。暑いのも好きだし、決勝まで思いっきりいきます」と動じない。

▼その後決勝で坂本弥太郎の浦和学院と対戦、延長の末2ー1のサヨナラ負け、結局甲子園経験なし。

▼ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団。ちなみにこの年の2位洗平竜也、3位井本直樹、4位岡本真也、5位土谷鉄平、6位山崎堅太、7位仲澤忠厚、8位辻田摂。坂本弥太郎はドラフト4位でヤクルトへ。

▼Googleで発見した、当時の中里評

130キロ後半の伸びのある回転のいい球をビシッと投げ込む。カ−ブ、スライダ−も投げ、手首の柔らなど、全身の柔らかさは素晴らしい。速球を内外角だけでなく、高低でも投げ分けられる制球力は突出した存在。スケ−ルというよりは、高いレベルでのバランス型投手だが、今後は制球力、投球術、変化球などワンランク上の投球の習得が望まれる。

確かに私好みの投手なのだが極端に高い評価での指名には疑問を持っていた。それは所謂スケ−ルと言う意味である。速球を自在に操る高校球界屈指の速球投手なのだがけして球速で押すタイプではない。また非凡な柔らかい腕の振りのわりに変化球の制球、曲がりは現時点では高いとは言えない。勿論あれだけ身体を柔らかく使えるのだから将来性は抜群と考える向きもあるが、私は意外に伸びしろは少ないとふんでいる。2,3年かけて大きく化けるかどうか?ただ将来的にも球速で押すと言うタイプではなく変化球との絶妙なコンビネ−ションを活かした先発タイプの好投手に育ちそうだ。課題は変化球、細かい制球力のレベルアップに後5キロ速くなると面白い存在なのだが。1年目は、ファ−ムでも驚くほどの成績をあげるかは微妙な選手だ。

2001/平成13/age.19

▼星野仙一監督の元、ルーキーイヤー。この年は川崎憲次郎がFAで中日に来た年でもある。川崎談:「出会いは覚えてますよ。鮮烈だったからね。とにかくボールがうなりをあげていた。入ったばかりの高校生だと聞いて二度驚いた」。二軍で7勝1敗防御率2.90。フレッシュオールスター出場。

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中里篤史@フレッシュオールスター


一軍初登場は09/16ナゴヤドーム(82年9月12日生まれだからこのとき19歳と4日)、対巨人戦に先発して五回3失点、と数字上は大したデビューじゃないのに、最速151キロをマークする快投で、しなる右腕とホップする魔法のストレートが伝説となる。一週間後、09/23の対阪神戦に先発して四回5失点、この年一軍登板はこの2試合。この時キャッチャー中村武志。ちなみに打つ方の結果は

巨人戦:1打席目三振 / 2打席目2点タイムリーツーベース
阪神戦:1打席目ライト前ヒット / 2打席目満塁で回ってきてセンター前タイムリー(福留生還するも二走波留タッチアウト)

・・・4打数3安打3打点といきなり四番級の強打者ぶり。Wikipediaに「高校時代から俊足・強打として鳴らしており、打撃センスは非常に高い。そのため、2001年オフの故障時には、球団関係者から非公式ながら打者転向の打診が複数回あったと本人がのちに語っている。中日のヘッド兼打撃コーチを務めたことがある佐々木恭介氏(元近鉄監督)は、『中里の野手としての素質は福留以上』と、野手としての可能性の高さを様々なメディアでコメントしている」と書いてあるけど、たしかに佐々木の言う通りかも知れない。高卒ルーキーが1年目の最初の4打席で3安打した例なんて、そんなにないんじゃなかろうか。知らないけど。

2002/平成14/age.20

春、沖縄キャンプ、脱臼

▼02/20:山田久志新監督(アンド・新正捕手谷繁元信)の元、沖縄・読谷での春季キャンプ。宿舎2階でのミーティング後、1階ロビーに下りる急な階段で「用心にと手すりを掴んだ、ちょうどその瞬間に足を滑らせ、転倒」という情報と、「階段を踏み外し、咄嗟に手すりを掴んで」という情報がある。どっちでも同じか。川崎憲次郎談:「足を踏み外したのが、ボクの目の前だったんですよ。大丈夫かよ、って思ったけど、大丈夫じゃなかった」。腕が後方にねじられる形で右肩脱臼、あるいは「完全亜脱臼」。外れた肩はその後自然に修正され、元の位置に戻ったらしい。関係者によると中里は涙を流しながら「肩が痛いんです」と報告にきたという。

そんな事故、一般人でもまず起きないのに、よりにもよってプロ野球選手の、よりにもよってピッチャーの、よりにもよって利き腕にそんなことが起きるとは。しかも、よりにもよって宝石のような右腕を持つ、その男に。韓流ドラマかよ。急遽名古屋に戻って精密検査の結果、「右肩関節唇および関節包の損傷」で全治3カ月以上との診断。しかし3カ月では済まなかった。打者転向説、選手生命絶望説も濃く漂う。

▼7/1:キャッチボール再開。距離5メートル。

坂元弥太郎プロ初勝利までの道『まだ見ぬライバルとの再戦』

3月下旬、プロ2年目にして初の開幕一軍を手にした坂元弥太郎投手に「一軍で対戦してみたい選手は?」という質問が報道陣から飛んだ。松井か、清原か。弱冠19歳の右腕が夢に見るバッターとは誰かと想像が膨らむ前に、坂元投手はこう言い切った。 「中里です。今はケガしてるんですけどね」

中里篤史。2年前の平成12年、夏の高校野球埼玉県大会で春日部共栄のエースとして注目を浴び、その年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。その中里投手と県大会決勝で延長10回を投げ合い、2対1のサヨナラ勝ちで甲子園へのキップを手にしたのが、当時浦和学院のエースだった坂元投手。この後、坂元投手は甲子園の大舞台で、1試合19奪三振という54年ぶりのタイ記録を樹立、全国にその名を轟かせることになった。「中里のことは、高校の時から意識しています。本当にいいピッチャーだから、勝てるとは思わなかった。あの試合、二塁から決勝のホームを踏んだのはぼくなんですよ。これまでの野球人生の中で、一番の思い出です」

その年、坂元投手はドラフト4位でスワローズに入団。しかし甲子園で三振の山を築いた直球とスライダーだけでは、プロで通用しない。1年目まずカーブを会得。シーズン後半からはフォークボールに取り組んだが、モノにするまでは簡単な道のりではなかった。

去年の9月16日は、ふたりの明暗がくっきりと分かれた1日だった。「ぼくがイースタンの巨人戦で先発して、ボコボコに打たれて帰ってきたら、中里が一軍の巨人戦でピシャリと抑えてたんです。あれは相 当悔しかった。でも、あいつの活躍がバネになりましたね。フォークはようやく感覚を掴んできたんです。今は重要な武器になってますよ」

しかし、対戦を待ち望んでいた中里は一軍にはいない。キャンプ中に「右肩関節唇および関節包の損傷」という投手生命を脅かすケガに見舞われ、今も苦しんでいる。「聞いたときはショックでした。電話したら、『大丈夫』とは言っていたけど… 初先発の後、中里からメールが来たんです。『オレが戻ってくるまで、とりあえず頑張っといて』って。アイツもオレも、お互いライバルと思っている。早く投げ合いたいですね」

5月24日は坂元投手の20歳の誕生日、奇しくもバースデー登板となった横浜戦で初勝利を挙げた。試合後、「今日が一番いい日」と笑顔で語った。中里投手からは『初勝利おめでとう』のメールが届いた。この一勝をステップにして、また投げ合いたい。いつの日か、夢見るライバルとの対決を胸に、これからも投げ続ける。今度は自分が、一軍のマウンドでライバルを待ち続ける。

2003/平成15/age.21

秋、脱臼再び

▼04/20:ブルペンで立ち投げ30球、その後右肘、腰に違和感。

▼07/08:ブルペンで立ち投げ30球

▼シーズン終了、落合博満新監督就任に伴い背番号降格、70番に。11月8日、秋季キャンプでブルペン入り、立ち投げ20球。新投手コーチ森繁和語る:「確かにすごい」。このキャンプではこれ以降、ブルペン入り四度。他に、バレーボールやカラーボールを使ってのリハビリトレーニング。13日、25%ダウンの600万円で契約更改。

▼11/19:夜、リハビリの水泳中、背泳ぎで肩に違和感。「右肩が抜けた感じがした。前回と同じ個所だと思う。前回と違い手は動くが、肩を動かすと痛い」「練習後はだいたい、リハビリも兼ね疲れをとるためにプールやジャグジーを利用してきたけど、何の前触れもなく突然のことだった」「何にもしていない時はなんともないけど、腕を上げたりすると痛い。前回の時は手は動かなかったけど、今回は動く。前回ほどではないと思うけど、同じ個所をやったことが悔しい」。本人は前日まで「肘が心配だけど肩は大丈夫」「キャンプが終わるまでにもう一度ブルペンで投げたい」と言ってたらしい。トレーナー:「言い方によっては亜脱臼と言えなくもない。まったく動かないわけじゃないし、本人も神経質になってる部分もあるからそれほど心配はいらない。定期検診も兼ね名古屋に帰した」。リハビリの水泳で・・・いくらなんでももう無理だろ、と、思ったのは私だけではないだろう。と、いうのはウソで、この時点では当観測所は存在しないし、私は中里篤史という存在をそもそも知らなかった。

▼11/21:名古屋市内の病院でMRI(磁気共鳴診断装置)検査の結果、右肩関節血腫との診断。伊藤トレーナー:「脱臼と軟骨損傷の疑いも残っている。脱臼となれば再起はまた遅れることになる」。鈴木孝政ヘッド兼投手コーチ、沖縄で報告を受け:「1回やってから、ずっと練習を積み重ねてきて今回だから。再起の青写真はどうしても遅れることになるだろう。もちろん本人もショックだろうけど、こっちもショック」。中里:「自分の感覚としては前回よりも軽い気がする」「2回目ということは右肩に変なクセがついているのかもしれない。今後は今まで以上に慎重に練習していかなければいけないかも」「自分としてはあくまでも投手を続ける気持ちに変わりはない」。 その後12月に再検査の結果「すでに骨は関節包に入っており、血腫もほとんど消えた状態であることが判明。患部のリハビリにGOサインが出された」ということに、一旦なる。

2004/平成16/age.22

1月、手術

▼01/27:リハビリにGOサイン、のハズが結局、右肩(と右肘?)手術(右肩関節唇および関節包修復)。

▼08/24:「試しに」手術後初のブルペン入り、立ち投げ30球、キャッチボール程度。今思えばちょうど、中日ドラゴンズ観測所を公開した頃だ。落合政権元年、一軍は6月の対巨人札幌三連戦三連勝で首位に立ち、そのまま優勝を決めた。

▼11/01:沖縄・北谷町にて秋季キャンプ入り。森繁:「このキャンプでそれなりの覚悟を見せてもらいたい。ダメなら辞めてもらう」「オレは去年、あいつのすごさを見てるからな」「ブルペンに入らなくても、キャッチボールでも判断はできる。できる、ということを見せてほしい」。 中里:「投げられることを見せるためにここに来たんです」。初日は遠投30球、最後は70m。

▼11/06:プレートから本塁ベースの間、3つの地点にコーンを置き、プレートやや後方からコーンを狙って5球ずつ投げる、という(なんだかよくわかんけど)練習。プレート後方に立つのは、上り傾斜となるために踏み出す左足に体重を乗せやすいからだそうだ。勝崎耕世トレーニングコーチ:「なるべく下半身を使って投げる感覚を磨くための練習です。肩に不安のある投手は、どうしても肩に意識が行ってしまうからね」「すべてはブルペンに入るための準備段階です」。中里:「沖縄は暖かいので投げやすい。投げたあとは、昔(故障前)のように普通に肩のハリとかがありますね」。

▼100万円ダウン、全選手中最低額の500万円で契約更改。「仕方ないです。野球をやってないんですから。どんな条件だろうとサインしようと最初から決めてました」「もう3年ですから。自分でも最後と分かっています。がむしゃらにやるしかない」 「まずは試合に出られるように。その次は1軍へ。1つずつクリアして、来年は完全復活を目指します」「来年投げられないなら、やめるつもりで頑張りたい」「来年中には登板しないとクビになりますから」


11/11、ブルペン入り、立ち投げ20球。

(中スポ)右肩痛からの復活を目指す中日の中里篤史投手(22)が11日、ブルペンに入り、立ち投げで20球を投げた。今年1月の手術以降、本格的なブルペン入りは初めてだが、「バランス良く投げられた」と本人も納得顔。森投手コーチから「覚悟を見せろ」と“最後通告”を突きつけられて臨んだ秋季キャンプ。悲運の右腕がまずは一つの回答を出してみせた。

朝倉が、久本が、高橋聡が視線を注ぐ。「見てる暇があったら練習しろ」とすごむ森投手コーチ。でも、気になるのだから仕方ない。視線の先には背番号「70」。仲間たちが見守る中、中里がその右腕から復活への第一投を投じた。

「怖さや不安がなかったと言えばウソになる。でも、バランス良く投げられたし、感じは良かった。ホッとしています」 立ち投げで20球。一球一球、「投げられる」という確信をつかむように腕を振る。今年1月に右肩を手術して以降、8月に一度だけ「試しに」とブルペンに入ったがこの時はキャッチボール程度。本格的なブルペン入りは昨年11月8日以来、実に369日ぶり。約1年ぶりの「投球」を終えると、中里は満足そうにフーッと息を吐き出した。

「覚悟を見せろ」 森投手コーチから厳しいゲキを受けて臨んだ今キャンプ。勝崎トレーニングコーチが作成したメニューに従い、キャンプ初日から遠投に挑み、ブルペン入りを命じられたのは第2クールの途中。“登板日”が近づくほどに「途中で痛くなったらどうしよう」という不安が膨らんだが、見事に1年ぶりの関門を乗り越えた。

「中里のボール? まだまだまだまだ。100のうち10か20ぐらい」 全20球を見守っても、変わらず厳しい言葉を並べる森投手コーチだが、「これからクールごとに1回ぐらいブルペンに入れれば」と復活に向けた今後の見通しを示す。中里も「この調子を維持して投げていきたい」とキャンプ中は継続してブルペン入りする覚悟だ。 「このキャンプでの目標はブルペンでの立ち投げでした。それが今日、達成できた。このまま無事にキャンプを終えたら、春にまた…」

右肩関節唇及び関節包損傷、脱臼、手術…。数々の苦難を乗り越えて踏み出した一歩。このまま春、そしてシーズンへ。長い長い復活への階段を、中里は今度こそ踏み外すことなく上り詰める。(寺西雅広)

▼11/15:キャンプ2度目のブルペン。立ち投げ30球。森繁:「(本格的投球は)春になってからだから、肩はまだ使わなくていいぞ」

▼11/19:3度目のブルペン。21日、4度目のブルペン。立ち投げ1セット20球のメニューを2回、術後最多の計40球。「疲れがたまってたんで下半身がバテました。でも肩の回りが良かったので、余分に投げちゃいました」。

▼ポストシーズン中はメニュー(勝崎トレーニングコーチ作成)に沿いトレーニング。「寒いのでピッチングは無理だと思いますが、ずっとキャッチボールだけは続けます」。平井(右ヒジ手術歴アリ):「すぐには良くならないって。無理するな。焦るなよ」

2005/平成17/age.23

あの沖縄キャンプから、三年

▼02/06:沖縄春季キャンプ第一クール最終日、ブルペンで立ち投げ31球。

▼03/24:ナゴヤ球場で立ち投げ70球。

▼05/29:ナゴヤ球場でバッティングピッチャーを務め、10分間、61球。打者相手に投げるのは2001/09/23の対阪神戦以来、3年8ヶ月ぶり。「やっとここまで辿り着けた感じですね。軽く投げても感じはよかった。ここからですね」「これから徐々にやって行きます」

▼06/04:中5日で2度目の打撃投手を務め、打者相手に58球。さらにブルペンで42球。故障後では最多となる計100球。「前回に比べて今回は余裕がありました。コースとか考えながらしっかり投げることができました」

▼08/06:シートバッティング48球。

▼08/10:中日スポーツの館長日記に館長談「中里の実戦復帰も近そうだ」

▼08/13:シートバッティングに登板、カットボール、フォークを交えて全力投球、48球。トーチュウ情報。今回の記事によると週二度のペースでずっと投げてたらしい。「故障前のイメージに近くなって来ました。だいぶ状態は上がってきているので、これからはピッチングの間隔(あるいは感覚?)を詰めて行きたい」


実戦復帰20球、いきなり148km。おお。

▼08/21:ナゴヤ球場、ウェスタンリーグの対広島戦で先発。実戦はルーキーイヤーの阪神戦以来、4年ぶり。正直、もしかしたら想い出づくりのサヨナラ登板かも、とさえ思われたが、1イニング20球3安打1失点、なんと最速148km。まさかここまで・・・。ファーム情報スレに走る歓喜、32キロバイト。


2005年8月復活登板(打者前田智徳)

打者:前田智徳

2005年8月復活登板(博満と森繁)

完全にうるうる来てる落合博満と、どう見てもホップしてるよな、
な、こう、ヒュッとな、とうんちくを語る森繁和。


●ドラゴンズ公式サイトより

先発中里、2番手で岡本が登板した。先発の中里は2001年の春季キャンプで肩を故障、以来約4年ぶりの実戦登板になった。ストレートはMAX148km、平均142kmとデビュー当時には及ばないが8割方球威は戻っている。変化球は、あまり投げなかったがカットボール、フォークボールを少し投げた。結果は1イニング投げ3安打、1死球、1失点とまずまずの内容。欲を言えば軽く三者凡退と行きたいところだが4年ぶりの登板では仕方が無い。これから実戦を重ねて徐々にペースを上げて行けばよい。

登板後、興奮した表情で「思ったより良かったです。肩の調子は良いです。今は痛みも違和感も無いです。変化球はカットとフォークを投げました。カットがまったく曲がりませんでした。これから、実戦を重ねゲームに慣れていくようにしたいです」と力強く話していた。

愛を感じる文体だが、無署名記事ならもう少し無署名らしく書きなさいよ、と、思わないでもない。

●スポニチ大阪まるごと名古屋

00年のドラフト1位右腕・中里が約4年ぶりに実戦に登板した。ウエスタン・リーグ広島戦(ナゴヤ)に先発し、1回を3安打1失点ながらMAX148キロを記録。01年9月23日の阪神戦(甲子園)以来、1428日ぶりのマウンドで大器の片りんを見せた。02年の春季キャンプで右肩に大ケガを負い、投手生命も危ぶまれていただけに「正直うれしい。いろんな人のおかげです」と感慨深げだった。

●日刊スポーツなにわWEB

昨年1月に右肩の手術を受けた中日中里が21日、ウエスタンリーグ広島戦(ナゴヤ球場)で先発し、1428日ぶりの実戦登板を行った。1回3安打1失点。最速は148キロを計測。「マウンドは最高ですね。支えてくれた人たちに感謝したい」。00年ドラフト1位で入団。1年目から1軍2試合に先発したが、02年のキャンプで右肩を故障して以来、リハビリ生活が続いた。

●中スポ

胸の鼓動を感じながら、ゆったりと振りかぶった。そして、本能のままに腕を振った。1428日ぶりの実戦マウンドに立った中里の1球目は143キロ直球。高めにうわずってボールとなったが、止まっていた時計が動き出した瞬間だった。4人目の打者・比嘉への初球、2球目は最速148キロを計測。結果は1イニングを投げて3安打1失点だったが、あらためて非凡な潜在能力を示した20球だった。

「お客さんがいて、相手のバッターがいてキャッチャーがいて…。ここに戻るためにやってきた。お世話になった人に投げる姿を見せたかった」感謝の気持ちを込めて投げた。2年目の02年春季キャンプで宿舎の階段から転落、右肩関節唇損傷および関節抱損傷の大けがを負った。その日から苦難の日々が始まった。復帰へ、リハビリに明け暮れる日々が続いた。待ちに待ったこの日、ネット裏には、その時からリハビリでずっと世話になっている三重県久居市の整形外科「みどりクリニック」の瀬戸口芳正院長(39)とスタッフが、見守っていた。

「自分は投手での復帰しか考えていない」。中里は常々こう口にしていたと振り返るのは、リハビリを担当していた同クリニックの百済はつえさん(33)。だが、03年秋に右肩を再び痛めて翌04年に手術を受けた。背番号も28から70に変更。一向に状態が良くなってこなかった時期は、ふと弱気な言葉が口をつくこともあったという。

一筋の光明が見えたのは、昨秋のキャンプだった。中里は「正直、痛かった日もあった」と打ち明けるが、チームが決めた練習メニューを最後までこなして復活にかける強い気持ちを行動で示した。今春のキャンプでは「今年は投げられるんじゃないか」と思えてきた。一つ一つの階段を上ってついにマウンドにたどり着いた。

1軍デビュー戦だった01年9月16日の巨人戦(ナゴヤドーム)でのホップするような快速球は語り草になっているが、まだ22歳。伝説になるには若過ぎる。最大目標の1軍へはいくつもの階段を超えなくてはいけないが、逆境からはい上がってきた中里にとって大きな一歩だった。(中谷秀樹)

08/30:実戦復帰第二戦、30球。もう投げるだけじゃダメだ。

ウエスタン・リーグ、ホークス相手(雁の巣)に六回1イニング1安打2三振、無失点、MAx150km。「ブルペンで調子が良かったから、そのままいけると思って、最初は力んでボールがバラついてしまいました」 先頭城所に四球。1死後、江川二塁打、1死二、三塁。本塁ベースカバーに入った時、「柳沢さんから『投げるだけじゃダメだ。もう、復帰登板じゃないんだぞ』と言われました」 。吉本の初球、外角低め150km。「出ている感覚はありました。実際に『出た』と聞いたら驚きましたけどね」。計30球。

09/11:実戦復帰第三戦、2イニング27球

ウエスタン・リーグ、ホークス相手(ナゴヤ球場)に先発、復活後初めて2イニングを投げた。1与四球1併殺無安打無失点打者6人27球、MAX149km/h。「自分の投げる感覚が戻ってきてます。(2イニング目は)肩が温まるまで時間がかかったけど、キャッチボールで何とか温まりました」 初回は2番高橋和をフォークで空振り三振など、三凡。二回は江川に四球を出したが、吉本をインコースの速球で遊ゴロ併殺。最後は笹川をこの日MAX149kmの直球で空振り三振。「真っすぐとフォークは良かったですね。カーブは感覚を掴み切ってないんで、試合でどんどん投げて感覚をつかみたいです」。高橋二軍投手コーチ:「(笹川を)空振り三振に取った球が良かった。もう1イニングいけそうだったけどね。次は、いつ投げるか分からないけど楽しみだね」

09/23:実戦復帰第四戦、3イニング53球

ウエスタン・リーグ阪神戦(ナゴヤ球場)で先発。3イニング53球、4安打無失点。 「立ち上がりは、いつも力んで入るところがあったんで、落ち着いて入ることを心掛けました。3イニング目は少し疲れがでました。でも、球数は練習でも投げていたので問題はなかったです」(一軍登板が現実味を帯びてきた)「自分の中ではまだ納得できるピッチングができてないんで…。でも、投げさせてもらえるならそれはうれしいことですね。これまで頑張ってきたかいがあります」

佐藤道郎二軍監督:「きょうの収穫はカーブが入ったことだね。前回よりコントロールが良かった。試合途中でしっかりと修正もできた。上で投げる態勢が整った。1イニングは投げられるでしょう。ファンもあのボールを見たいと思ってるだろうからね」 (当初は10月1日の二軍戦でもう1試合登板してから、7日の横浜戦(ナゴヤドーム)で一軍復帰する線が濃厚だったが)「その前に上からお呼びが掛かるかもしれない」

10/01:あの初登板から四年。一軍復活

ナゴヤドーム/対広島戦/15.00開始、六回1イニング17球投げて勝ち投手に。最速148km/h。

10/07:先発して3イニング59球。

シーズン最終戦、ナゴヤドーム/対横浜戦/18:00開始、多村に31号2ランを食らい敗戦投手に。

2006/平成18/age.24

復活した以上、先発で2ケタ行くんじゃないか

なんてことを夢見た中日ファンも当然たくさんいたはずだが、そう映画のようにはいかない。開幕を二軍で迎えたままウェスタンでの登板も4月8日を最後に途絶え、6月に「どうもまた右肩と肘が故障気味だったらしい」みたいな情報がCBCの「サンデードラゴンズ」いわゆるサンドラで流れる。7月、3ヶ月ぶりに投げて好投。そして8月3日、ようやく今季一軍初昇格、横浜スタジアムにて九回、川上憲伸の後を受けていきなり初登板。しかしいきなり2四球与えて岩瀬に交代、と、いいとこなし。

それでもその後の1ヶ月、ふつうに中継ぎで登板を重ねる。以下は8月23日のオレ竜のコメント:「収穫は中里。投げるたびに良くなっている。まあ今年1年はリハビリの年だけど、将来的には先発にと考えている。将来のエースとして18番の背番号をやっているんだから、潰す訳にはいかないから、慎重に使っていく」。9月アタマに登録抹消。森繁:「中里は上で中をやるより下で長いイニングを」。

と言いつつ阪神とのペナントレース一騎討ちは熾烈を極め。2週間後に再昇格してやっぱり上で中をやったり、とかまあそんな感じで中里の2006年は過ぎていった。育成うんぬんとは別に確かに戦力になっていた、とも言えるが、輝かしい戦力とはならなかった、とも言える。引退宣言して日本シリーズで最後のバッターボックスで号泣する新庄相手に投げたのがこの年のハイライトか。ちくしょう、どうでもいいハイライトだなあ。オフには中田、長峰、高橋聡とともにドミニカのウィンターリーグへ武者修行に出たが、他の3人はそこそこの成績を残すも、中里だけは外国人枠だかの関係で結局1試合も投げずに帰って来たのであった。さらに全くどうでもいい情報だが、選手の派遣に先立って下見に行ったコーチ(誰だったか忘れた)が、ドミニカで「あいのり」のバス(ラブワゴン)を見かけたそうだ。

2007/平成19/age.25

今年も開幕二軍スタート。

5月25日現在、ウェスタンで26回2/3 投げて防御率 6.41。現実は厳しい。

プロ入り最長の8イニング1失点

5月29日ウエスタン・リーグのサーパス戦(ナゴヤ球場)で先発、プロ入り最長の8イニングを投げて6安打6奪三振1失点に抑えた。速球はMAX145キロだったが多彩な変化球を披露した。「あそこまでいけば完投したかったけど、七回に自分のせいで同点とされたので仕方ないですね」。同点だった八回に代打を送られ降板。

今季ウ・リーグで5度目の先発。中継ぎだった昨季は使わなかったフォーク、シュート、カットボールで打たせて取った。「速い球を投げようと思えば投げられるけど、長いイニングではかわしていくことも必要ですから」。小林二軍投手コーチは「変化球? だいぶイメージ通り投げられるようになった。今やっていることは今後財産になるよ」と評価しながら、「上は(交流戦中で)ゲーム数が少なくて、(投手陣が)せっぱ詰まってないからね」と話した。

中里、四球を反省…

6月15日ウエスタン・リーグのサーパス戦(ナゴヤ球場)で先発、6イニング1/3を投げ、4安打2失点に抑えたが、先頭打者を四球で四度出塁させるなど次回登板へ課題を残した。「調子はよくなかったけど、悪いなりにゲームはつくれたと思います。(四球は)自分の問題なので。修正して次回は結果を出したいです」。最近3試合、勝ち星こそついてはいないが、2失点以下に抑え先発投手の役割はきっちり果たしている。

中日スポーツ「昇竜館日記」に「7回途中まで4安打2失点。好投したような数字だか、4球も5つ。ストライク、ボールがはっきりしすぎているのが気になる。今年は1軍で活躍すると期待していたのに、なかなか状態が上向かず見ていてもどかしい」との堂上館長のコメントが載ってたらしい。中里篤史観察日記さん情報。

中里7年目の初完封、未体験の9回にMAX148km

6月23日ウエスタン・リーグのソフトバンク戦(ナゴヤ球場)で先発、9イニングを投げ、3安打4四死球、6奪三振の無失点に抑える好投。今季8試合目の先発でプロ入り初完投初完封。プロ入り最長の9イニング目に入っても速球の威力は衰えなかった。「真っすぐが久々にいい感じでした。疲れはありましたけど、最後は気持ちでいきました。初めての完投が完封なんでうれしいです。すべてが収穫です」。

未知のイニングで何度もマークした140キロ台後半の速球に加え、変化球もさえた。特に昨年オフのドミニカ武者修行中から習得にとりかかったカットボールが有効だった。「(カットの)手応えはファームで先発するようになってからですね。やっとゲームで使えるようになりました」これでチーム投手陣が17日のサーパス戦から続けている連続自責点0の記録に中里も加わり、5試合、45イニングに伸ばした。

ちなみにキャッチャーはルーキー田中大輔22歳。そうですか、ドミニカ行きはただの無駄足ではなく、収穫があったのか。

中日スポーツ 7/20

「カットボールを覚えて、それはもう少しなんですけど」「お呼びがかかるのを待つんじゃなくて、自分で掴みたい」 中里篤史観察日記 07/20

7/21:バランスボールで左肘骨折

293:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 22:56:55 ID:BciTZvgE0
バランスボールから滑り落ちて骨折って二階から溝口並みの馬鹿だな。

302:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 22:58:52 ID:HgPq7AFo0
風呂でこけて骨折する馬鹿もいる

313:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:00:56 ID:PixBSS020
中里に関してはもう諦めた。

315:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:01:19 ID:YmZ15IVk0
それはマジか? ソースは?

317:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:01:42 ID:3Rnwn2xE0
>>315
東スポ

期待の星・中里が左肘を骨折していたことが判明した。 21日のナゴヤ球場での練習中にバランスボールから滑り落ちて負傷したという。 この件に関してはチーム内に箝口令が敷かれているため、全治は不明だが、今期の出場は絶望とみられる。 後半戦の切り札と言われていただけに大誤算だ。


319:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:01:53 ID:Sr7oxxHY0
てかバランスボールなんてせいぜい大人の股下ぐらいの高さでしょうが
あれで骨折したのならマジで骨粗しょう症とかカルシウム欠乏とかで
今後もちょっと連投しただけで簡単に次から次へと疲労骨折するんじゃないかい

329:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:03:23 ID:ej5vLPB20
まあ利き腕じゃないのが不幸中の幸い

336:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:04:32 ID:ej5vLPB20
いや、骨って力のかかり具合で簡単に折れるよ

337:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:04:36 ID:vQQN7gck0
階段から落ちて脱臼する奴とかプールで泳いでて脱臼する奴とかバランスボールから落ちて骨折とか
変なのばっかだな、うちは。

339:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:04:39 ID:QavsduV60
中里は右肩をかばってへんな転び方をしたんだろう、きっと。

356:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:08:05 ID:FaQG+bCc0
え、右手じゃなくて左手か

374:燃えよ名無しさん 投稿日:2007/07/26(木) 23:10:27 ID:VYpeSOWM0
あの中里のきれいな打撃はもう見れないのか

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チェン復活登板 MAX143キロ 3人ピシャリ

中日の育成選手、チェン・ウェイン投手(22)が26日、今季のウエスタン・リーグ最終戦となるソフトバンク戦(ナゴヤ球場)で、左ひじ疲労骨折の形成手術から約1年ぶりに復活登板を果たした。試合は中日が2−3で逆転負け。

約1年ぶりの実戦マウンドで気持ちよさそうに腕を振った。チェンが5回から3番手として登板し、1イニングを投げ、打者3人をピシャリと抑えた。昨年11月に行った左ひじ疲労骨折の形成手術から復活登板を果たし、自らの好投で祝った。「きょうは腕をしっかり振ることだけを考えました。投げられてうれしいです」。昨年9月10日のプロ・アマ交流戦の名古屋ウェルネススポーツカレッジ戦以来の登板となったこの日、チェンはこれまでのうっぷんを晴らすかのように、ストレートで真っ向勝負。常時140キロ以上でMAXは143キロ。変化球はカーブを1球だけ。

チェンを初めてリードした田中は「低めにきてたし、球速以上に球がきていました」。高橋2軍投手コーチも「143キロ出たということが一番。本人も気分がいいだろう」と復活登板を喜んだ。ひじのリハビリだけじゃなく、ウエートトレーニングも積極的に行い、ヒップ、太もも、肩回りはそれぞれ約3センチアップ。「ずっとウエートをやってきたから。トレーナー、トレーニングコーチに感謝します」。期待の左腕が今季最終戦で“完全復活”への第一歩を踏み出した。

ウエスタン・リーグはこの日、今季の全日程を終了し、個人タイトルが決定。中日では金剛弘樹投手(28)が最多セーブ(11S)、森岡良介内野手(23)が最高出塁率(4割1厘)のタイトルを獲得した。森岡は「3番・セカンド」として、打率3割1分6厘(リーグ3位)、6本塁打、42打点とチーム三冠王に。(2007年9月27日 中日スポーツより)

中里「投げられてよかった」左ひじ骨折から約3カ月

中日の中里篤史投手(25)が9日、宮崎での秋季教育リーグ(フェニックス・リーグ)の楽天戦(アイビースタジアム)で左ひじの骨折から復活登板。約3カ月ぶりに先発、9安打4失点だったが、予定通りの5イニングを投げ切った。試合は中日が0−5で敗れた。

決して納得のいく投球内容ではなかった。それでも7月15日のウエスタン・リーグのサーパス戦(高知東部)以来、久しぶりにマウンドに立てたことが何よりだった。「きょうは投げることで精いっぱいでした。余裕がなかったですね。でも投げられたことがよかったと思います」2回に1点、3回に3点の計4点を失ったが、4回は3者凡退に抑え、5回は先頭打者から2連打を許したが4番河田を注文通り二ゴロ併殺に仕留め、2イニング連続で無失点に抑えた。

中里は7月21日の練習中に左ひじを骨折し、同26日に名古屋市内の病院で手術を受けた。これまで懸命なリハビリを行ってきたが、予想よりも復帰が遅れた。公式戦終盤、そしてクライマックスシリーズには間に合わなかったが、フェニックス・リーグで巻き返す。「ボール自体は悪くなかった。満足はしてないですけど、次に投げるときは今回よりも余裕が出てくると思うので、配球とかいろいろ考えながら内容を求めていきたい」(2007年10月10日 中日スポーツ)

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